データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則


偶然の日立つながり。拝復。


ウエアラブルセンサを使って仕事中の人の動きをべらぼうな量集めてあれやこれやビッグデータとして分析したら結構意外なことがわかったぜ、という本。たまに出てくる著者の社会科学に関する間違った認識が少々気になるものの、実際のデータを元に語られる「個人の活動量分布」や「組織の法則」は面白い。


例えば、一分間で腕が動く回数の一日の分布を見ると「U分布(ボルツマン分布を一般化したものらしい)」と呼ばれる右肩下がりの曲線になる。人間の一日の活動量はマクロで見ればこの分布に従う。一日の腕の動きは約7万回ほどらしく、この回数をU分布にしたがって適宜配分しているというわけだ。「分布する」ということは、一日中ずっと同じ動き(例えば毎分60回とか)をすることは出来ない、と言い換える事もできる。ずっと同じような活動を継続するというのはU分布に反する。つまりそういう活動は無理があるのだ。活動の分布と総量を把握しておけば、自分の活動計画がより効果的になるよ、というのは面白い。


また例えば、組織の活性化度合い(ここではコールセンターの受注率が取り上げられている)は休憩時間の同僚同士のコミュニケーションの多寡に左右されるといった事例。また例えば、職場の構成員のつながり(いわゆるグラフ)をもっと密にするには、「お互いの腕の動きがある一定数以上の『真摯な』会話の回数を増やすこと」が寄与するといった事例。また例えば、従業員と店舗を訪れた顧客の導線と売上をビッグデータとして分析すると、店舗の「高感度スポット」に従業員を配置するだけで客単価が数%向上するといった事例などが紹介されている。


これらの事例が一般性を持つかどうかはまた別の問題かもしれないが、僕が個人的に「ほう」と関心したのは著者の「ビッグデータに対するアプローチ」だ。著者は「人間が仮説を用意して分析するというスタイルはビッグデータにそぐわない」と言い切る。( ゚Д゚ノノ"☆パチパチパチパチ

分析者による仮説検証方式には、膨大な労力がかかる。仮説を作ろうとすると、関係者のヒアリングや現場の調査などを行う必要もある。これらも含めると、経験的には、分析のためのもととなるデータを整理するところまでに分析作業の90%以上がかかる。その先にコンピュータを活用するにしても、9割以上が人手作業と試行錯誤の連続である。


これは、職人による手工業に近い。これまでのビッグデータの分析現場を見ていると、家内制手工業の職人の工房に舞い戻ったような錯覚を覚える。一見、最先端のハイテクの職業と思われている「アナリティクス」「データサイエンティスト」は実は、親方と弟子の勘と経験によるまったく手工業の世界なのだ。大事なところ、労力がかかるところは工業化もコンピュータ化もされていないのである。(同書、p.192)


いや、全くその通り。ビッグデータはそもそも人手を介してはいけないのだ。というかトートロジーっぽいが人手でできるものはそもそも「ビッグ」ではないのだ。本来のビッグデータとは、収集はセンサが勝手にやる、分析もエンジンが勝手にやる、そして最終的には活動の改善も自動的に行われるといったものであるべきだ。


特に最後のビッグデータの分析結果の活用にもほんとうなら人手をかけるべきではない。ビッグデータが生み出す「結論」は因果関係を意味しない。なんらかの相関関係を見つけてくるだけだ。それはこの本で挙げられている事例にもあてはまる。コールセンターの休憩時間が受注率に影響を与えるというのは「相関係数」であって、ほんとうに効果があるのかはわからない。そこから「じゃあわざとコミュニケーションを取れないようにしたらほんとに受注率は下がるのか」を検証する、さらには「コミュニケーションを活発化する施策のアイデアと実施」までを考え、その効果をA/Bテストで実証して最適なコミュニケーション活性化の仕組みを導入してようやくこのビッグデータのサイクルは完成する。ここも機械学習とかで自動化することがビッグデータの究極の姿だろうなと思う。


Googleは年間数千件のA/Bテストを行っているといわれる(Google Japan Blog: Google が行う様々な実験)。問題は「まだそれが人手で設計、実施、分析されている」ということだろう(いやGoogleはもうAIが実験設計、分析、効果検証をやってるかもしれないがw)。日本国内のビッグデータの議論はまだまだデータ収集の自動化すらおぼつかない状況だが、近い将来、このサイクルが回り始めたら面白いなと思う。


多謝


−以上−


追記(2015/6/30)
cakesでちょうど連載が始まったらしい。あわせてどうぞ。
⇒ 人間の行動は法則化できる?ーーウェアラブルセンサが示す幸福 vol.1|“すこしふしぎ”な科学ルポ|海猫沢めろん|cakes(ケイクス)




異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日

異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日

異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日


2009年4月に日立製作所の社長に就任した川村隆氏の日立の改革を追ったドキュメント。実は日立って結構な内部改革をやってたのねえ、しらんかったよ。


自分の中の日立のイメージって「拝承(笑)」「HDD事業(笑)」「PDP(笑)」「日立アプライアンス(笑)」「コングロマリットプレミアム(笑)by古川社長(2006年当時)」「Inspire the Next(笑)」「社会イノベーション(笑)」というくらいのもので、2008年くらいから日立に関する認識を更新してなかったっぽい。反省しました。


電機業界(ここでは家電と重電をあえて分けずに)界隈では最近「不振に陥った大企業の腐った側面」を描く本がいっぱい出てきている。例えば以下の様な本。

ドキュメント パナソニック人事抗争史
立ち読みだけした。この本では中村改革が結構やり玉にあがってた。松下の苦境の遠因を遡ると「松下正治会長が人事に容喙し、その結果、森下社長から始まる『当時のトップのイエスマン』をエネンと社長の座につけてきたこと」というのが同書の意見と言えそうだ。なので「人事抗争史」なるタイトルがつくのであろう。ただし立ち読みしかしてない。
パナソニック・ショック
未読。著者の立石氏は電機業界の取材が長い方なので、なんとなく内容は想像がつく。
さよなら!僕らのソニー (文春新書)
未読。同じく立石氏の著書。ソニーと松下(パナソニックではなく)は、ある時期までコインの裏表的な側面があったと思うんだが、いつのまにか似たもの同士っぽくなっちゃったなあ、とか。ちなみに立石氏は2003年にこんな本も出してる。「ソニーと松下〈上〉企業カルチャーの創造 (講談社プラスアルファ文庫)
シャープ「液晶敗戦」の教訓
「おっと、PDPの悪口はそこまでだ」。「世界の亀山ブランド」とか「選択と集中」とか持ち上げてた人たちはどこにいったのか(たぶん今は石投げてるんだろうけど)。


このへんの本に比べると、この川村改革の本は前向き。ただやったことは他の電機屋さんとあまり変わってないという気もするんだよね。曰く「上場子会社の整理」、曰く「不採算事業からの撤退・売却」、曰く「人件費圧縮によるコスト構造見直し」、曰く「M&Aを含む海外事業のテコ入れ」、曰く「社外取締役の導入、取締役会のダイバーシティ向上」などなどなど。が、日立ではこれらの打ち手が効果を発揮し、財務的にも事業的にも再成長の兆しがはっきりと出ているようである。一方のソニーパナソニック、シャープといった家電業界はもうちょっとトンネルが長そうだ。この差はなにに由来するのか、よくわからん。まあウォン高が続けばサムスンも似たような話になるだろうけどさ。


本書の中で最も印象に残ったのは以下の部分。

2003年に本社の財務一部長に就任するまで、三好は不振の半導体部門やパソコン部門の財務責任者を歴任した。当時は毎月のように事業部長と本社に呼びつけられ、分厚い報告書と事業計画書を求められた。かといって本社サイドにスペシャリストがいて、事業部の事情がわかるわけでもない。「本社にどう弁明するか」「本社をどう納得させるか」。次第に内向きになり、事業への責任の意識が希薄になる。これが悪弊であることは経験から分かっていた。(同書、p.123)


そうなんだよねえ(血涙)。「マネジメント」と称して本社様がやってることって、単なる邪魔でしかないんだよね。しかもそれって事業部に嘘をつくインセンティブを与えてしまうし、さらに悪いことに、事業部が自ら自分たちの「嘘」を信じるようになっちゃうんだよねえ。嘘を信じたいがために高価なコンサルを雇ったりとかさあ (∀`*ゞ)テヘッ


本書を読む限りでは日立の行った川村改革は改革の定跡だなと思う。でも日立、知らないうちにほんとにいろんなことが変わっててびっくりした。ニュースは追いかけてるつもりだったけど、でかい会社の内部ってわからないものですわ。面白かったです。是非首記の本、お目通しいただきたく。


−以上−


追記:こういうの昔書いてた。
日立社長交代 - I 慣性という名の惰性 I

なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書)


「俺様経済学」の駄本だった。まえがきに「現在の経済学では説明できない」的な記述があったので、その時点でまじめに読むのはやめて、あとはパラパラとページをめくって終了。BCG出身の企業再生のプロというどミクロの人がマクロを語るのはそもそも無理なのかな(といっても実は個別企業や地域の話をしてるだけなので、ミクロの範疇でも矛盾をきたしてるともいえるw)。

今、労働市場で人類史上発の巨大なパラダイムシフトが起きている、と著者は主張する。GDPや企業の売上が緩やかに減少していく中で、極度の人手不足が起こっているのだ


本の紹介文より


ええと別にパラダイムがシフトしなくても説明可能ですよ。


 「単価の切り下げによって販売数量が同じでも売上が減少」
→「固定費削減のために人減らす」
→「作る数は同じなので一人あたりの作業量が増える」
→「人手不足(でも賃金はあがらず)」


デフレの影響であって、パラダイムシフトではないですよね。「給料を上げても人が来ない、足りない」というのならそれは大変なことでしょうがね。うん、図書館で借りたのは正しい選択だったです。


で、この手のデフレから目をそらして間違った方向にミスリードする本を「藻谷系」と呼ぶことにしました。「渋谷系」みたいでちょっと気に入っています。


なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書)

なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書)

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一 (角川文庫)


疲れた時に読む夢枕獏、ということで、なんとなく手をつけてなかった同書を電子書籍でポチった。


夢枕獏司馬遼太郎の「空海の風景〈上〉 (中公文庫)」を書くとこんな感じかな、という感想。面白かった。