「正しい飲酒運転」がありうる未来がいい


前に飲酒運転問題をCODE的に考えてみたんだが、あれはまだまだ浅いなあと思うに至った。前回の議論の大前提として「飲酒運転をすること自体は悪だ」という暗黙の仮定があった。そして、「法」「規範」「市場」といったモジュールが機能しないのであれば、「アーキテクチャ(≒技術)」で規制するしかないじゃん、という結論に至った。そして考えついたのが「前科者に対しては呼気判定装置をつけろよ」というアイデアだった*1


しかしこの規制のやり方には「正しい飲酒運転」というものが存在しないという仮定を置いてしまっていることに気が付いた。言い換えれば「誰にも迷惑をかけない飲酒運転」を生み出す可能性を否定しきってしまうような規制のあり方はどうなんだと思い始めた。


そもそも飲酒運転の何が問題なのか。誰にも迷惑をかけないのであれば「飲酒運転をやる自由」を留保することも可能なのではないか。


「市場」をもっと活性化する規制のあり方はないだろうか?例えば代行運転のコストを今の1/10に下げるような方策がないものか。思いつくアイデアとしては隊列走行が出来る車ならどうか。現在の代行運転は二人の運転手が必要だが、隊列走行が可能になれば一人の運転手で可能となり、これでコストは半減だ。さらに自動運転が出来れば飲酒運転自体がなくなる。もうちょっとこういった方面にリソースを投じるインセンティブをもたらすような規制のあり方はないんだろうか。


厳罰化という「法」の規制を強化する方向にばかり目が行くこともバランスを欠くし、実際この厳罰化はひき逃げの増加という好ましくない副作用を生んでいる可能性も高い。


そして現在起きている問題行動を単純に「出来なくする」という方向にしか目が向かない「アーキテクチャ」による規制もまたバランスを欠いてしまう。例えば、現在大型トラックに義務付けられている「スピードリミッター」。高速道路での大型トラックの事故は重大事故になりやすいから、単純に「スピード出せないようにしましょう」という発想で行われている「アーキテクチャ」型規制。たばこの自販機に免許証を入れないと買えなくするというのもこの「アーキテクチャ」発想の規制だ。


アーキテクチャ」による規制は、その効果が完璧なのでこれを破ることは理論上不可能になる。理論上不可能になることがどのような影響をもたらすか。


空中キャンプ 未成年が、こっそりたばこを買う権利

ここで変化したのは、「やろうとおもえばできるけど、やらない」という選択肢がなくなったということである。


これは「規範」を無効化することにつながるのではないか。そして「規範」をまったく当てにしない規制というものは人間を信用しない規制だと思う。「アーキテクチャ」に頼った規制がどんどん増えていったとしたら、例えば「自動車を運転する」という行為自体がなくなるかもしれない(目的地を入力したら後は自動運転)。そこにはスピード違反も違法駐車もない。それが望ましい世界だと思う人もいるだろうが、僕は人間を信用しないシステムだらけになることにはすごい抵抗がある。

*1:週刊ポストによれば海外では既に導入しているところがあるらしい。で、実際再犯率は抑えられているとのこと