間違ったゲーム理論の解説:その2


昨日に引き続き、日経ビジネスアソシアの間違いを突っ込んどく。


もっとクールに仕事をするための使える「ゲーム理論」<第3回>
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20060825/108666/



これは非同時手番ゲームだろ?


この記事はいったいなんだろうか?はっきりいって何が言いたいのかよくわからん。「最後通牒権」と言っているってことは非同時手番ゲームのことなんだろうなと想像した上で書く。


非同時手番ゲームとは、絵で書くとこんな感じ。

A −終了→(4,1)

↓続行

B −終了→(2,8)

↓続行

A −終了→(16,4)

↓続行

B −終了→(8,32)

↓続行

(64,16)

これみても分かるように、交互になんらかの条件を出してはそれを受け入れるかどうかみたいな話をするときにゲーム理論で考えるとどうなるかという話。これもデシジョンツリーの一種。ただし、記事で示されているデシジョンツリーは激しくおかしい。複数回の交渉を並列に扱うような絵は見たことない。通常は上のようにムカデみたいな絵になる。


デシジョンツリーの一種ということは、ここでも分析の大きな枠組みは「Backward Induction」。


上の例の意味は、最初にAが選択権をもってて、その時点でやめればAには「4」の利得が、Bには「1」の利得がそれぞれ得られるという意味(拒否の矢印の先の(4,1)のこと)。で、次にBの番になって、そこでBが終了すればそれぞれが得られる利得は(2,8)となる(利得の大小関係が逆転してるところに注意)。で、これを繰り返して、最後にBが継続を選ぶと終了となって、利得は(64,16)となる。


さて、ここで「標準的」なゲーム理論のBackward Induction(めんどくさいから「逆向き推論」と呼ぶ)を適用するとどうなるか。

最後の選択権を持ったBが考えること
「継続」を選ぶと自分の取り分は「16」((64,16)の後者)、でもこの時点でやめれば自分の取り分は「32」(右に出たほうの数字ね)。だからここでは「終了」を選ぶよね、当たり前
その前のAが考えること
次にBに手番を渡すと自分の取り分が減る(この時点でやめればAの利得は「16」、次に回すと「8」に減る)ので、この回で終了しとこう。当然だよね。
その前のBが考えること
次にAに回すと絶対そこでストップするから、この回で終了。俺って(ry
その前のAが考えること
次にBに(ry


というわけで、Aのとるべき戦略は「最初の段階で終了を選んで(4,1)の利得を確定させる」ってことになる(この例は「行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)」のp.55から引用)*1



記事のケースのデシジョンツリー


前提条件を整理しておく。

  1. 車の定価は200万円
  2. 実勢価格は190万円、最低販売価格はどうやら170万円
  3. 客が出してもいい金額は200万円
  4. 客の利得は予算の200万円と購入価格の差額
  5. 店の利得は最低販売価格である170万円と売値の差額

この前提条件でまずはこの記事のとおりにゲームのデシジョンツリーを書いてみる。

客 −購入→(0,30) 定価の200万円で買った場合

↓値引き交渉

店 −拒否→(0,0)売らない

↓条件提示(185万円に値引き)

客 −購入→(15,15)185万円で購入

↓値引き交渉(175万円にしてくれ)

店 −拒否→(0,0)

↓条件提示(185万円だけどETCつけるよ)

客 −拒否→(0,0)

↓購入

(15+ETC、15-ETC)


さて、最後のところから見てみよう・・・って、考えるまでもない。これは最後の条件で買うのが合理的選択。だって、「15万円値引き+ETC」はETCが正である限り、「15万円の値引き」よりも大きいからだ。


では今度は最後の値引きが効かなかった場合どうなるだろうか。この場合のデシジョンツリーは次のようになる。

客 −購入→(0,30) 定価の200万円で買った場合

↓値引き交渉

店 −拒否→(0,0)

↓条件提示(185万円)

客 −購入→(15,15)

↓値引き交渉(175万円にしてくれ)

店 −拒否→(0,0)

↓販売(175万円で販売)

(25、5)


この場合、店は客の「175万円にしろ!」という要求に応じることになる。だって売らなければ利得はゼロなのに対して、売れば利得は「5」だからだ。


ここではたと気付く。ということは、もし客が店の利得構造を完全に知っていれば「170万円」まで自動的に値引き交渉が出来るということだ。だって、店は170万円を切らない限り必ずプラスになるからだ。


しかし、もっとおかしな話がある。もし店が客の利得構造を完全に知っていたとしたら、店は200万円の定価から一銭たりとも値引きをしないはずだ。だって仮に客がその車を定価で買ったとしても、それでも利得はゼロのままでマイナスにはなってないんだから。


でもこのケースでは交渉が成立しそうにない。店は170万円で売りそうにもないし、客も200万円で買いたくなさそうだからだ。つまりこれは前提がどこか間違っているということになる。



そもそもこのケースの前提条件がおかしい


それぞれの前提条件の何がおかしいのか見ていく。

  1. 車の定価は200万円
  2. 実勢価格は190万円、最低販売価格はどうやら170万円
  3. 客が出してもいい金額は200万円 ←ダウト
    • 客が出してもいい金額はもっと下のはず。じゃないとそもそも店が交渉に応じる必然性がない。
  4. 客の利得は予算の200万円と購入価格の差額 ←ダウト
    • 客の利得は「真」の予算(おそらく200万円よりは小さい)と購入価格の差額
  5. 店の利得は最低販売価格である170万円と売値の差額 ←ダウト
    • 店の利得も「真」の最低販売価格(おそらく170万円よりも大きい)と売値の差額


さて、こうなると話はまったく変わる。お互い相手の利得構造が分からないんだから、交渉はあくまで手探りとなる*2。となると当然この交渉にも確率が絡んでくる。現時点の提案が向こうの限界なのかどうかがわからない。もう一歩踏み出したとしてそれを相手が飲むかどうかは確率的にしかわからないからだ。うまくいけば交渉成立、失敗したら決裂。その意味で、最終段階の手番をもったほうは悩むことになる。


が、往々にして「実は最終手番と思ってたけど、そうじゃなかった」ってケースのほうがほとんどだ。この記事のケースにしたって「うーん、じゃあじゃあ182万円+ETCでどう?」という交渉の余地はまだあるかもしれないし、店も「別にお客様はあなただけじゃないので、別の人に売ったっていいんだよ」という立場もある。ゲーム理論が勘違いされやすいのは、ゲーム理論のフレームはそもそもそうとう厳しい前提条件が暗黙に仮定されているってことがあまり知られていない*3からだ。


このケースで言えば、厳密にゲーム理論を当てはめようとするなら次のような前提があることを理解していないといけない。

  • 客が買える車はこの一台だけ。ほかの車種とかは一切ない。この一台を買うか、買わないか
  • 客が交渉できるお店もこの一店舗だけ
  • 客が交渉できる機会は一度だけ(一回決裂したら再度交渉する機会はない)
  • 店にとって、客はこの一人だけ(ほかの客には売れない)


これくらいがっちがちの条件が重なった上で初めて上記のデシジョンツリー分析は意味を持つ。なので、この日経の記事のケースは明らかにミスリーディングなんだよな。別にここで買う必要もなければ別の車にしたっていいし、店もこんなうるせえ客相手にするよりも別の客探すよということになりかねない。


これは私見だが、この記事のケースは「チキンゲーム」と呼ばれる分析の枠組みで考えたほうがいいかもしれないと思った。



最後に


この記事って誰が書いてるんだろう?ここまでひどい間違いをするのもどうなのか。経済学部の院生かだれかをバイトで雇って書いてもらうか、少なくともチェックしてもらったほうがいいんじゃない?

*1:蛇足だが、このゲームは最後まで行けばAもBもより大きな利得を得ることが出来るのに、合理的に振舞うと利得がちいさくなっちゃうという「合理的」判断の穴を示すための例。詳しくは本を嫁

*2:ついでにいえば、そもそもの客の「真の予算」と店の「真の売値」にギャップがあった場合、この交渉は永遠に成立しない。例えば客は175万円が真の予算で、店の真の売値が180万円だったら店は売らないだけだ。

*3:というかこの記事みたいに分かってない人が書いてるから