規範的なものを納得するには、その規範的な知識がそもそも必要である件

規範的な考えを受け入れるには一定の訓練が必要だと思う私にとって、Blog等の対話型のコミュニケーションには限界があると思われるのだが、まあ頑張れ、超頑張れ。




Blog上でリフレ政策への賛同を表明している方々*1が何度も直面している問題として、リフレ政策への反論・無理解・誤解等々を解こうと頑張れば頑張るほど、相手が引いていくという現象がある。


とはいえ、この努力は決して無駄ではなくて、リフレ政策賛同派の説明を聞いてなるほどと思う人も中にはでてくるんだが、どうしても説明しきれないというかなんか斜め上の余計な反発を食らっているケースが散見される。


Blog上でのリフレ政策賛同派の方々のはまるパターンの一つを例示するとこんな感じ。

リフレ政策賛同派、日銀の政策審議会の結果をうけて落胆の意を表明
「インタゲなどの拡張的金融政策をなぜ取らないんだ!」

     ↓

コメント欄で質問が出る
「インフレをコントロールすることなんてできるの?」

     ↓

リフレ賛同派の方々、インタゲの目的・理論的背景・実効性・手順等々を長々と説明
「そもそもインフレターゲットの目的は、NAIRUを目安として完全雇用を達成・維持することを目的とした金融政策の一つの表現であって・・・もともとインフレ自体のコストはそんなに高いわけではなく・・・仮に合理的期待形成を仮定するとしても、中央銀行によるコミットメントとそのコミットメントを担保するような仕組みがビルトインされていればハイパーインフレなど起こりようもなく・・・そしてこのような政策を中央銀行が実行することは非常にやさしいはずであって、単に日銀が国債を引き受ければいいだけの話であって・・・実際に「バーナンキ背理法」などでも、理論的にインフレ政策は可能であり・・・その際に不胎化するとかしないとかのテクニカルな問題はあるとしても・・・さらにこのリフレ政策によって、現在の景気後退による各種の問題の緊張緩和という効果も期待できるのであって・・・(ry」

     ↓

あさっての方向の質問が入る
「でも構造改革しないと年金問題は解決しないんじゃね?」

     ↓

構造改革の弊害をとうとうと説明
「今現在の日本において、小泉首相の唱えるような構造改革は、例えば失業増加による経済の更なる縮小などをもたらす可能性のほうが高く、デフレギャップをさらに拡大しかねない。そもそもデフレギャップが存在する状況下では、デフレギャップの解消を最優先事項とすることが必要であり・・・(ry」

     ↓

さらに斜め上の質問が来る
「それって中国のせいなんじゃね?」

     ↓

リフレ政策賛同派、ヒートアップ
「そもそも今回のデフレギャップが生じた原因は・・・(ry」

     ↓

致命的な誤解を投げつけられる
「ワカタヨ!!(゚∀゚)ようは借金してマンション買えってことか!(・∀・)キタコレ!!」

     ↓

リフレ政策賛同派、さらに根源的な説明を試みる
「いや、そもそも流動性選好の議論をベースにすれば・・・(ry」

     ↓

まとめてくれ厨登場
今北産業

     ↓

リフレ政策賛同派、リソース不足(時間、根気 etc.)露呈
「例えばその議論に関しては、まずここの説明を読んで・・・さらに流動性選好についてはクルーグマンのあの本の三章に分かりやすい説明があって・・・(ry」

     ↓

離れていく/あらぬ反発を食らう
「リフレ派必死だな( ´∀`)」「嫁厨乙( ゚д゚)、ペッ」


いやまあこの途中で理解する人も当然出るわけだが、なんかこの手のパターンが多いような気がする。


で、こういったやり取りがループする理由は、つまるところリフレ政策という考え方が寄って立っている前提が、相当程度規範的であるというところに起因するからだと思われ。


リフレ政策を(ある程度)理解するためには、マクロ経済学の知識は必須だし、さらにそれを誰かに説明するためには、世間一般に流布されている構造改革幻想とかの弊害を論破するための経済学的な知識も必要となる(当然説明を受けるほうにも)。でも、この説明を受けるほうに経済学的素養がない場合、こっちのいってることを理解してもらうことはできない。


これを解消するのって無理なんじゃね?


ついでにリフレ政策が実行される条件として一般国民の同意が必要なのかどうかもよくわからん。日銀が決めればいいだけって言ってなかったっけ?


たしかに間違った構造改革幻想等々をマスゴミが流しているから、正しいリフレ政策が取られないんだという反論はあるのかもしれないけど、だからといって国民投票でリフレ政策採用という話にはならんだろ。


リフレ政策の正しい理解を国民全体に広めるための努力をディスカレッジするつもりは毛頭ないけど、おそらくそれは相当遠大な目標を立てているわけであって、もっと目先のステップを細かく設定してからリソースを投入したほうがいいのではないかと思われ。


まず第一に、到達点をリフレ政策を理解してもらうことに定めるのかどうかを考えたほうがいいんジャマイカ?一口にリフレ政策といってもかなりの幅があるわけだし、逆にいえば、リフレ政策の細かい話を理解してもらうよりも、現在の構造改革の弊害を理解してもらうほうが結局は意味のあることなんじゃないのかとも思う。


その意味では田中先生の「Economics Lovers Live/entry 正月中に作成します」は、基礎となるミクロの規範的な知識を得る最初のステップになると思う。田中先生の取り組みは、リフレ政策の理解までを目標には置いていないと現時点では理解している。構造改革の弊害とかの話が読めると嬉しいなと思ったりはする。ただ、Blogというかweb上のリソースだけで体系的なミクロ経済学の知識が身につくとは到底思えないのも事実。結局参考文献というか「嫁リスト」は必要なんだろうが。


次に誰に理解して欲しいのかというターゲットセグメントをはっきりしといたほうがいいと思われ。全員を対象にすることは無理だとbewaad氏は悩んでいるわけだが、そもそも全員がこんな議論を理解することは無理だと思うし、その必要もないわけで。
bewaad institute@kasumigaseki(2005-12-11) [WWW]ネットでの主張の難しさ
http://bewaad.com/20051211.html#p01


なので、ミクロ経済学の知識をある程度もっている層に向けて、リフレ政策に近づく次なるステップとしての財政政策と金融政策に重点を置いたマクロ経済のトピックなりお勉強が出来るリソースがあると嬉しいかも。


と、ここまで書いてきたけど、どうでもいいや感はぬぐえない。つかやっぱり本読むのが一番手っ取り早い方法だと思うので、嫁厨万歳でFAということで。

*1:本田先生のところの飯田先生のコメント(http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20051207#c1134064814)を受けてこういう回りくどい言い方にしてみる。「このような「リフレ派」というレッテル張りは最早誹謗中傷に近いと感じます.繰り返しますが「リフレ派」という括りが妥当性を持つとしたら,90年代後半から直近に至る停滞に対し,拡張的金融政策が有なんらかの効性を持つと考える人々というだけの話です.」