専門的リソース浪費の功罪?

おおやにき: 他者の歓待」を読んで、「おおや先生にからむにしちゃなんかレベル低いな。だいたいまだあのビラ訴訟判決で盛り上がれるやつもいるのか。燃費いいなおまいら」と思ってはてなブクマなどをちらちらと見ていると、なんか盛り上がってる人たち(≒ビラ配り擁護派)は判決文すらきちんと読んでいないんだなということがわかって( ゚д゚)ポカーン




⇒立川反戦ビラ事件東京高裁判決に抗議する(談話)(id:fhvbwxさんとこ経由)
http://www5.sdp.or.jp/central/timebeing05/danwa1209.html
Yahoo!ブログ - 松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG
"立川ビラ配り控訴審判決批判の投書を嗤う"のエントリで叩かれている朝日の投書欄の人とかコメント欄とか
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/19364148.html


これ、無理だよ、もたないよ。今北産業というか判決文すらきちんと読んでない素人が、生半可な知識か正義感かであさっての方向の質問を専門家に投げつけてただでさえ少ない専門家のリソース浪費されたらたまらん。


「一人一殺で戦うとどちらが残るんですか?(c)おおやにき」


これから先、なんか問題が持ち上がるたびにネット上の専門家のリソースはどんどん浪費されていくことになるんだろうか。それともネットに新たに投入される専門家のリソースの伸び率のほうが高いんだろうか。今現在はまだ伸び率のほうが高いような気がするが、将来はどうなるんだろうか。それとも情報の非競合性の効果のほうが大きくて、実はこういった一見リソースの浪費と思えるものも、web上の貴重な資源として意味を持つんだろうか。


今回の件に関してはこのリソースの浪費は僕にとっては貴重な資源となった。住居侵入罪を解釈するにあたっての住居権説と平穏説の丁寧な解説が読めたわけだから。ただこのエントリーにかかったリソースは、本当はもっと貴重なエントリーなり活動なりに充てられていたかもしれない。


ともかくも良質なコンテンツがネット上に投入されたこと、言い換えればネット上に新たな資源が追加されたことを単純に喜ぶべきなのか、それともこのような活動の機会費用を心配すべきなのか。単純にプラスだろという気もするが、一方で機会費用も気になってしまう。杞憂?そうだといいなあ。




あとブクマ等々を回っている中で朝日新聞はマジヤバイと思えてきた。既に朝日新聞自体はネタとしてしか読まないようになっているが12/10付けの朝日新聞社説「ビラ配り有罪 表現の自由が心配だ」(Googleのキャッシュにしか残ってねえ)を読むと、朝日新聞の明らかなミスリードによって誤解が広まっており、そのせいでこのリソース浪費が生じているんじゃないかという気がしてきた。朝日って社会的な資源を浪費する悪なんじゃないかとマジで思えてきた。


全文引用すると著作権でつっこまれてGoogle八分になるかもなので、一応一部のみキャッシュからサルベージ。

3人は「自衛官・ご家族の皆さんへ 自衛隊イラク派兵反対!いっしょに考え、反対の声をあげよう!」などと書いたビラを各室のドアの新聞受けに入れた。逮捕され、75日間も留置場などに入れられた。


 3人が官舎に入ったのは、門扉のない出入り口からで、他の配達員も立ち入る共用部分だった。一審判決はそう認定して、「刑事罰に処するほどの違法性は認められない」と判断した。常識的な見方だろう。


 一方の二審判決は、官舎を管理する自衛隊幹部らが居住者に「反自衛隊的なビラの配布を見かけたらすぐ110番通報を」という文書を配ったりしていたことを詳しく述べた。これらから、問題のビラ配りがいかに官舎の管理者らの意思に反していたかを強調している。