はい今日はね、鶏と卵の料理作りますよぉ

こんばんは、土井善晴です。


終了宣言も出されたようなので、あまり蒸し返さない範囲で気になったことを書いておくよ。



そもそも本田先生の問題意識は「労働需要の喚起」ではないんじゃね?

リフレ派の言っている「労働需要を喚起する」というのは、現下の不況をどうにかせにゃあ、という問題意識から出てきているので、とりあえず若年だろうが中高年だろうが失業者が出ている状況それ自体を改善させることが最優先課題であり、そのためにリフレ政策を取るべきだ⇒そうすれば労働需要が喚起できる、という流れ。以下に端的に示されているのがそれ。別にニートをどうにかしようとかってそもそもあんまり視野にないというか(ただニートをどうにかしたら景気が回復するというのであれば、ニートも視野に入って来るんだろうけど)。

もちろん現時点での「ニート」層の中には、景気が回復しても就労・就学できない人々が一定数混じっており、その中には支援を必要としている人々もいるかもしれないが、少なくともそれは昨今の若年雇用問題の核心にはない。今日の若年雇用問題の焦点は労働需要サイドにこそある
2005-11-23


それに対して、本田先生の問題意識は「フリーター・失業者(およびニートの中の「非求職型」)を重視しその増大要因として企業=労働需要側の新卒採用抑制とフリーター等への採用差別を指摘し、かつそこへの政策的介入(具体的にはまだ詰められていませんが)が必要」というミクロ的な市場の構造が問題だという点にあったはず。


なので、すれ違いの最初のきっかけは、リフレ派(というくくりもあれかも)は、全体としての労働需要喚起を考えているのであり、既存の就業者に関してはあまり関心を持ってもいないし、個別の失業者の質についてもある意味不問にしていたのに対して、本田先生は論点を「フリーター・失業者(およびニートの中の「非求職型」)」に絞っており、彼らの不利な状況を改善するための方策を考えていたところにある。


ここで最初のすれ違いが起きる。


リフレ派は、「リフレに成功して景気が回復すれば労働需要も高まるため、失業者は減少するよ」と言い、本田先生は「じゃあ、その労働需要の対象はフリーター・失業者(およびニートの中の「非求職型」)に向きますかね?」と聞く。リフレ派は「まあ一定数の人は就職できんじゃね?」と突き放し、本田先生は「それじゃあダメじゃん」となってしまった。


それがこれ。

つまり労働需要をいかに喚起するか、をめぐってひとつ対立が生じる。リフレ派としては基本的にマクロ的総需要を喚起して、そこから派生的に労働需要を喚起するという提案をするのみであるが、内藤、そして本田由紀の場合には(どうも不分明なところが多いが)、労働需要の直接的主体たる雇用者、企業の構造改革を望んでいるように思われる。更に本田の場合は、そして最近では内藤の発言においても、これに加えて学校教育における職業教育的側面の見直しを含めて、労働市場構造の総体的な改革が展望されている。
2005-11-23


で、ここから話はマクロ的な側面を弱め、よりミクロ的な側面を強めていく・・・はずだったんだが、なぜか話は明後日の方向に。

リフレ議論をミクロ的問題に適用する無理と、なんとなく無理っぽい市場介入に対する議論の混乱

そもそも前の段階で「リフレ政策は個別の失業の『質』の話を語るのに適したスケールの議論ではない」ということが明らかになっているはずなので、「経済学ド素人の、ド素人による、ド素人のための愚鈍な疑問+α」は単なる質問で終わっていいはずだった。が、このタイミングで出てきてしまったために、話が多少混乱する。


特に、bの「景気循環を政策的に調整する努力が払われたとしても、たとえばサービス経済化や製造業における製品寿命と生産サイクルの短期化などの長期的・構造的・不可逆的な変化が非典型労働力への需要を不可避的にもたらしているとすれば、非典型雇用の規模は一定以下には減少せず、かつ非典型労働力は典型労働力のプールとして低水準の処遇のままに置かれるのではないか(制度的に均等待遇の導入がなされない限り)。」という部分、特に強調部分の「制度的に均等待遇の導入がなされない限り」というのは、ミクロ的に見て多少議論を呼ぶところだろう。リフレ派は現時点ではマクロ政策を主眼に主張しているけど、ミクロ経済学も当然修めているわけで、市場への介入という話になると、本能的に警戒感を持ってしまう。


つまり、「均等待遇の問題圏がわからないけれども、もしフリーターと正社員の報酬を均等に規制すべきだ、という議論ならば明確に僕は反対ですね。」という具合に。ここで僕なんかは「ああ、田中先生、ミクロ経済学の視点からだとそういいたくなりますわね」と半笑いになるところだが、なぜかあらぬ反発を受ける。

「リフレ派=価格原理至上主義冷淡派」vs.「本田先生=実効政策推進主義純情派」?

経済学的に見ると、本田先生の言う「均等政策」は、雇用者である企業がフリーターなどを雇用する際のコストを高めてしまう可能性があり、このコスト増によって、逆にフリーターとかパートの人たちが失業してしまうのではないかということを危惧している。


で、これは経済学かじったことのある人なら、おそらく直感的に「そうかもね」となるくらいの話。なのに、なんか過剰な反応キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20051206

話が大変食い違っているのは、OECD始めとする通常の経済学系の方の指摘は、正規労働者と非正規労働者の格差が、その技能等市場で正当に形成される格差ではなく、市場外の諸力によって社会的に形成される格差であり、それゆえに市場メカニズムをゆがめているという点にあるのに、なぜか「リフレ派」と称される人々は、それを市場メカニズム(「価格の神様」)によって形成された正当な格差で、それを是正しようとすることが市場への不当な介入であるかのようなイメージで語っていることです。
(本田先生宛に送られたメールの一部)


「いやいやいや、制度設計の話するんなら価格メカニズムの視点を無視してはいけないよ」という単純な話であり、その視点を取り入れた議論をするにはやはりモデル化の作業が必要だということを言ったまでの話なんですが何か?


田中先生はそれを「複雑な現象を単純なモデルで描写して、まずそれで一次近似的にみてみようとする場合、その推論をすすめないで、単に現実はもっと複雑だから容易に棄却、というやり方はおよそ反経済学ならぬある意味で非合理的ともいえる推論の姿勢じゃないでしょうか?」という感じで述べている。ところがなぜか「リフレ派=価格原理主義」的なふいんき(←なぜか変換で(ry))に。

悲しいけどこれ、政策なのよね!

この時点で、本田先生とのすれ違いは重層的に生じてしまっている。

リフレ派の意見 本田先生の意見
1 リフレ政策で失業率は下がるよ リフレ政策で今現在のフリーターとかを救えるの?
2 一定数は救えるだろうけど、リフレ政策はあんまり失業の質には注目してないよ では市場に介入してなんらかの均等化政策をとらないといけないんじゃね?
3 市場への介入は、うまくやらないと当初狙った意図と逆の結果をもたらすことが多々あるよ。経済学(特にミクロ)をやればこれはリフレ派だろうがなんだろうが共通する認識だと思うよ リフレ派の方々は市場への「闇雲な介入」がとてもお嫌いなようですが
4 そうではなくて本田先生の均等化政策は、恐らく逆の結果をもたらしてしまうよと言ってるだけ。なぜなら価格メカニズムを考えると、その政策は企業にコスト増をもたらしてしまうし、フリーターとかパートを雇う企業側のインセンティブを下げてしまうんじゃね? でも格差は存在するし、その格差は市場による価格メカニズムだけで生じているのではなく、社会的な要因で固定化されているのでは?
5 いやいや、その社会的な要因というものも価格メカニズムに織り込むことは可能だし 「フィクションやメタファーとしてのモデルと、非正規労働の現実と。経済学モデルを信奉しなければならない理由を持たず、非正規労働の現実を見つめようとしている私」

いちおう今は終了宣言出たようですし、本田先生も「私も無理矢理の介入が現実的に可能だとは思っておらず(言葉が足りなかったと思いますが)、ある「望ましい方向」を念頭に置いた上でそれに向かって軋轢が出ないように漸進的に、しかし着実ににじりよること、そのためにはどうすればいいかを考えている」とおっしゃっているようなので、一旦は終了と。


ただし、まだミクロ的視点を取り入れた制度設計をすべきかどうかという点では結論が出ているわけではなさそうなので、とりあえずは上記すれ違いを整理しておくことにも意味があろうかと。


ただ問題として残るのは、本田先生に「リフレ派というよりは、経済学者から見ると本田先生の政策案は問題あるよ」という点を理解していただくには、やはり本田先生に経済学を理解していただく必要があるということであり、本田先生が経済学を理解するためにリソースを投入する気になるかどうかは、本田先生が経済学のメリットを実感しないといけないということだと思われ。


はい、できましたよぉ。さて、今日はね、鶏と卵の料理つくってみましたよぉ。


土井善晴でした。