"Economics of Abundance"についてつらつらと思ったこと


「過剰の経済学」とかって訳すのになんとなくの違和感がある。これって単純に外部経済の一変形なんじゃないかと思ったりするから。

「Economics of Abundance」ってただの外部不経済を言い換えただけなんじゃねえの?


例えば工場が公害を垂れ流してるとする。周辺住民は迷惑をこうむる。その工場の製品を買っているその他地域の消費者は公害分のコストを払わずにその製品を購入している。この公害分のコストが外部不経済


で、例えば工場に公害税をかけるとする。この税金によって公害対策がなされる。このコストは製品価格に転嫁される。公害は消え、公害分のコストは消費者に分散して負担される。これが外部経済の内部化。


これをものすごく大雑把にネットに当てはめる。YouTubeの利用者は帯域を大量に浪費する。工場が回りの空気を汚染するように。そのコストは現在はISPとかネットインフラ事業者が設備投資という名前で支払っている。現在はまだ維持できるレベルにあるのかもしれないが、早晩破綻するかもしれない。これは外部経済と考えるべきじゃないのか。もしそうなら利用者に従量制課金をすることが必要になる。その結果、YouTubeの視聴者は激減するかもしれない。でもそれは「公害」が消えることによって市場全体はパレート改善されたともいえる。


もう一つ、広告費を「公害税」とみなしてこの外部経済を内部化してる可能性。YouTubeのコストは広告費というコストの形をとって、利用者にあまねく負担させているのだという話。


でもこれにも問題はある。YouTubeを利用している人はごく一部。このサービスを維持するためのコストは、ほんとにYouTubeによる広告効果とイコールなのか。企業が支払う広告費はYouTubeを利用している人達だけからきちんと徴収されているのか。もしかしたらYouTubeを全く利用していない人達にも、この広告費というコストを負担させていないか。もし負担させているとしたらこれも外部不経済といえないか。これを内部化することは可能なのか?AdSense経由での売買にはAdSense分のコストをのっけた価格設定をするべきなんじゃないのか。


電通の「日本の広告費」によれば、現在のインターネットの広告は広告市場全体(約6兆円)の4.7%を占めているらしい。しかしインターネット上でやり取りされる商行為が商行為全体に占める比率が4.7%に達しているのかどうか。もし達していないのであれば、これは不公平な費用負担をさせていることになるんじゃないのか(まあほとんどの人はインターネットだけで商取引をしてるわけはないので、なんやかんや相殺されているかもしれないが)。

そしてこれって新しい経済なんだろうか?


もうひとつはもうちょっとレベルの違う話。日本の広告費は対GDP比で1.18%の規模しかもたない(さらにいえばこのお金がすべて付加価値としてカウントできるかどうかもわからん)。仮にネット上に全ての広告費が流れ込む日がきても、この産業は農業(1.6%)よりも小さい。この規模の産業が社会を一変させることがあるんだろうか。


広告費負担によってタダになったサービス分が別の産業の消費に回ったとしたも、たいした効果はなさそうに思える。Google一社がこれを独占するとしたらGoogleにとっては美味しい話だろうけど、経済全体から見ればどうでもいい話に思える。


まあ超楽観的に考えた場合、次のようなことは言えるかも。


GoogleとかAmazonとかiTuneとかによっていわゆるマッチングと流通の生産性が格段に上がったとする。その部分の非効率性が改善されて、それまで無駄に使われていた資源がより生産性の高い分野に流れて全体の経済規模が拡大する。例えばテレビ局や本屋やレコード屋なんていう無駄な産業がなくなって、そこで浪費されていた資源が例えば他の産業に流れたりって感じ。戦後、農業から工業へ人が移動したことと同じようなことがおきるかってことなんだが。


でもこれは「新しい経済」なんだろうか?第三次産業の中での付加価値の分配先が変わっただけなんじゃないんだろうか。

結局「Economics of Abundance」なるものが生産性を高めるかどうかだけが問題なんだよな


2000年前後に言われていた「生産性のパラドックス」は、アメリカとか日本の生産性が上昇局面に入ったことから、どうやら最近疑問視されてきたようだが、それでもこの生産性上昇がインターネットによってもたらされたと頭っから信じる気にはまだなれない。一部は寄与してるんだろうけど。


そして今のところYouTubeが生産性を高めるとも思えない。20年後に振り返ると、結局PCつけっぱなしでルータもつけっぱなしだったから電力消費が増えただけでしたなんて情けない話にならないとも限らない。


そして、結局のところ「No Free Lunch」という大原則はやはり有効だと思うわけで、「Economics of Abundance」なんてものも、結局ふたを開ければ機会費用を見落としてましたとか、広告費でコスト移転してただけでしたとか、外部不経済を一部の人に押し付けてただけでしたとならない保証はないと思う。




まあ、このマントラで短期的に荒稼ぎできる人はがんがんやっていただければいいだけなのかもしれないけど。