間違った基準で褒めてきたのが問題だと思う件


人間関係によって生産性は上がりもすれば下がりもする - FIFTH EDITION
⇒ http://blogpal.seesaa.net/article/36453393.html


問題としているレベルが違う話だったりするが、日本企業は決して「褒めない」組織ではない。逆に、本来けなされるべき人たちをやたらめったら褒めてきた組織だ。これこそがより根の深い問題なんじゃないか。



大前提となる「会社の目的」が間違っていたら話にならない

当たり前だけど、社員の目的意識と会社の目的が一致している場合に、最も社員の生産性は高くなります


(以下、引用部分は全て「人間関係によって生産性は上がりもすれば下がりもする - FIFTH EDITION」より)


例えば、日興コーディアルでは「とりあえず粉飾したっていいから当期の利益を増やしてみせる」という人が褒められて(言い換えれば出世して)きたわけで、本来の企業として設定すべき目標がズレまくってる企業ほど、「褒められる人」と「干される人」のギャップが激しい。


そしてこういった企業では、外部から見たらどうみても「褒められる」べきだと思える人がたいてい「干されて」いる。


会社レベルじゃなくてもこの現象はよく見られる。ある部署のトップが組織として誤った目標を押し付け、さらにその目標に沿った基準で「褒める」ようになると組織のパフォーマンスは落ちる。いや、その上司にとっての最適パフォーマンスは生み出すかもしれないが、企業として本来求められるパフォーマンスからは乖離していく。


例えば、「自分の出世のために組織を使う」上司の場合、その上司が褒めるのは、自分の出世に役立つ行動をした人だけである。自分のミスを隠蔽してくれたり、短期的な業績をかさ上げしてくれたりした腹心が最も高い評価を得るわけだ。


そして、組織として本来あるべき「目標」を主張するような部下は決して褒められない。まして、自分がやったことを否定するような行動に出たような部下は飛ばされて終わりだ。日本の企業でよくある話として、「いや、その仕組み変えちゃうと前任者の否定になっちゃうんで・・・」という理由で物事を変更することが一切出来なくなっている組織なんて腐るほどある。まして、その仕組みを作った人が「現社長」だったりしたら、もうアウトだ。

インフォーマルな人間関係が組織の生産性に大きな影響を及ぼすことが明らかである以上は、インフォーマルな組織のルールが、フォーマルな組織のルールを損なわないような状況でマネジメントをすることが重要になる。


こういった企業では、本来「フォーマル」の座につけるはずもない「インフォーマル(インモラルなと言い換えてもいい)」なルールがまかり通ってしまっている。現場レベルでいくら「正しい(この企業の場合は「インフォーマル」な)」基準で部下や同僚を褒めてあげたところで、生産性なんて上がるべくもない。


以前、『「勢い」のあるプロジェクトが生き残る理由(2007/2/22)』で問題視した「回収期間法」という事業評価方法への僕の批判も、根っこにはこの「間違った基準で褒めてんじゃねえよ」という思いがかなりある。


間違った「褒められ基準」の伝統はすぐに積み重なる


この間違った基準は、えてしてある企業のある時期のある一定の人脈の共通したある価値観の人たちに簡単に共有される。コンプラ無視の短期利益至上主義の人たちの作る派閥のなんと強固なことか。資本コストを度外視した過剰な設備投資の額を競い合う事業責任者や、利益を生まないシェア拡大のための殴り合いこそが生きがいという営業本部長のなんと多いことか。既に死に体になっているにもかかわらずほんのわずかの利益が出ているからという理由で継続される事業のなんと多いことか。


そして、彼らがその企業内である水準以上の発言力や人事権を持つと、この価値観は一気に会社中を覆い尽くす。そして、この基準を抵抗なく受け入れて邁進する「間違った社員」がどんどん出世することになる。


こうなると企業としては終わりだ。経営陣が逮捕されていっせいにパージされるくらいのインパクトがないと、この悪しき伝統は加速度的に積み重なっていく。自分を褒めてくれた価値観に最も従った部下を褒めていくわけだから、その価値観はどんどん強化・先鋭化されていく。

外部から見ても妥当な基準で褒めないと逆効果だ


確かに「社員の時間あたり労働生産性」という限定された指標に関して見れば、もっとフォーマル、インフォーマルをまたいでちゃんと関心を持って褒めればいいとは思うが、組織や事業や会社レベルでの評価基準が外部から見てまともなものじゃない場合、その基準でもって褒めるのは大きな間違いだ。


上場企業の体をなしてない(最低限の資本コストすら稼げない上場企業の存在理由ってなんだ?)企業の上層部は、お互いに褒めあってたりする。「いやあ、株価上がりましたなあ」とか、「就職人気企業ランキングでトップ50に入りましたなあ」とかとかとか。


なので、

色々あるが、日本という国の中では、これが蔓延していると思うこともある。フォーマルなルールとインフォーマルなルールが対立しているのである。


①仕事に精をだしすぎてはならない(がっつき)
②仕事を怠けすぎてはならない(さぼり屋)


の二つについては、しばしば見かけるんである。つまりは、「怠けすぎるな、でも働きすぎるな」である。結果として、生産性の高い人間は、しばしば、インフォーマルな力が働いて締め出される。


そして、組織内では、官僚化がいくところまでいくと、自分たちの利害を最優先しようとする。つまりは、既存の集団利益を最大化する。(仲間内では結束し、それ以外には集団で立ち向かうという戦略)これが始まると、自分たちの利害を最優先する為に、企業の利害を二の次にしてしまうのである。


1、自分達の地位をまもる為に、新規参入の優秀な人間は潰す
2、既存の自分達をよりよく見せるために、集団内に優秀でない人間を雇いいれる


という結果に行き着いてしまう。


という現象は、実は

色々あるが、日本という国の中では、これが蔓延していると思うこともある。ノーマルなルールをインモラルなルールが凌駕しているのである。


正論を言ってはならない(頭でっかち)
現在の価値観を否定してはならない(おべっか屋)


の二つについては、しばしば見かけるんである。つまりは、「正論を言うな、そして疑うな」である。結果として、本当の意味で生産性の高い人間は、しばしば、インモラルな力が働いて締め出される。


そして、組織内では、独善化がいくところまでいくと、自分たちの利害を最優先しようとする。つまりは、既存の集団利益を最大化する。(仲間内では結束し、それ以外には集団で立ち向かうという戦略)これが始まると、自分たちの利害を最優先する為に、株主の利害を二の次にしてしまうのである。


1、自分達の地位をまもる為に、本来あるべき正しい考え方は潰す
2、既存の自分達をよりよく見せるために、外部に向かって都合のいい情報を垂れ流す


という結果に行き着いてしまう。


(強調部、ryozo18改変)


となっていたりする。ガバナンスっていうレベルじゃねぇぞ!と。

ところで、はてなはそうじゃないですよね


ありがとうありがとうありがとう