ようは建設業は「社会福祉」的側面があったってことだと思う


談合消滅後の建設業界で何が起きているか (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)


また日経ビジネスオンラインの「自由競争」がらみか!



経済学的、もしくはビジネス的に言えば


きちんと技術とか教育に投資して生産性高めるしかないね。以上。


実際、このインタビューでも「建設業界もできるだけ工業化し、効率化していかなければならないというのはその通りや。それは目指したらいい。」と言っているわけで、この方向性に向かっていくしかない。 


でも現状はそのような投資余力とかないよね、という話のようだ。ようは談合がなくなって「自由競争」になったら価格が激烈に下がって今までの雇用・給与水準すら維持できなくなったってことらしい。発注側の力が強まったので限界まで価格を下げさせられた結果のようだ。




じゃあ次の経済学的結論は、そこまで待遇がひどいのであれば、建設業従事者は別の職業に移動していくはずだよねJK。以上。


実際、日本の農業は過去何十年で従事者が激減した。農業では食えないからサラリーマンになったり工員になったりしたわけだ。これと同じ事が建設業でも起こるだろうという話。大変だろうけど頑張ってください、としか言いようがない。無理にこの低生産性の産業に人を張り付かせるような施策をやってしまうとさらなる非効率が起きてしまうからだ。


なので「普通の会社員から見ても決して高くない。だから職人のなり手がいない。こんな職業に夢が持てるか。あんたの子供さんをこんな仕事に就かせるか。就かせるわけないやん。」というような形で、若年層の職業選択から建設業は除外されてきているというごく当たり前の現象が起きている。


しかし問題は「投資も出来ず」「他の職業にも移動できない」零細職人が大量に存在するってことだ。



「職人」の価値の減少

あんた、その道50年の天ぷら屋の親父と同じ材料で、同じの揚げて食べてみ。どっちがうまいか、そんなのアホでも分かる。建築も同じや。絨毯一つ、壁のクロス一つ張るにも職人の業がある。伸びシロを無視してぴしっと張れば、時間の経過とともに浮いてくるやろ。糊の伸ばし方一つ取っても全然違う。

いい時は700万円あった年収も、今は一級の国家資格を持っている腕利きの職人でも350万円程度。普通の会社員から見ても決して高くない。


これを見ると「職人」の技に正当な値段がついてないということが問題のようにも思える。多重請負構造とかも、この「職人技」の価格低下を招いている要因のようだ。さらに「発注者側の品質を見る目がない」というのも「職人技」の価値が価格に正確に反映されない原因の一つなんだろう。


でも、現実はそう動いてはくれていない。

私がゼネコンに言うやん。「職人の育成にゼネコンも力を入れてくれませんか」って。そしたら、「落ちてもいい。誰にでも作れるようにしているから」と。


こうなると結論は決まってしまった。「稼げる人/我慢できる人は建設業に残る。それ以外は淘汰されていくしかない」と。



もうこれって「生活保護」的な社会福祉の領域に近いよな

職人の多くは労働保険も入ってない。私らは「払え」と言っているが、職人を抱える親方に保険料を払う金がない。年金問題だって職人には関係ない。資格がないんやから。

ただこの10年、専門工事会社も職人を雇用しきれんようになって、どんどん一人親方として独立させた。職人を独立させれば、保険を払わなくて済むからや。

はっきり言って、ゼネコンが出す単価が安いのなら職人も行かなければええ。それでも、仕事ないやん。行かなしゃあない。


この状況を聞くとちょっと気が遠くなる。


談合がなくなったからダンピングが起きて職人が苦境に陥っているというよりは、「談合」という形の余分なコストを発注側から余計に頂いてきたことで、本来既に過当競争だった産業(特に雇用)を維持してきたという話であって、そのある意味で「社会福祉コスト」だった「割高な建設費」が「自由競争」でなくなったってしまって、職人に回していた「再配分」が維持できなくなったというのが現在の状況なのではないかと思う。


そして「談合」を通じた「社会福祉的再配分」がなくなってしまった現在、いままでの建設業の規模を維持することは不可能だろう。ここで起きているのはダンピングなどではないと考えるべきなのではないか。どちらかと言えば形を変えて支払っていた「社会福祉」を今度はどういった形で負担するかという議論にしたほうがいいのではないだろうか。




「談合」がなくなって建設価格が「適正」になったことで、いままで企業なり政府が支払っていた「社会福祉的再配分」、つまり「割高な建設費」は別の分野に向かうことになる。


理想だけを言えば、建設業からあぶれた労働者が移動出来るだけの雇用をこの「あまったお金」が別の産業で生み出してくれることだ(例えば介護とか)。ただ実際は確実に同じだけの雇用を生み出すとも思えない。


そしてこのお金が向かうべきもう一つの行き先は、これらの競争力を失ってしまった「職人」に対してより直接的に支払われるべきである「生活保護」だ。この視点を持っておかないと、この建設業界の価格崩壊によって生じるある種の社会福祉の破綻に対処できなくなる可能性がある。もし対処できなかった場合の悲惨さはすさまじいものになりかねない。


われわれの社会はきちんと「生活保護」を支給するだけの原資が用意できるだろうか。浮いた公共事業費とかを変な方向に使ったりしないだろうか。きちんと社会福祉に回っていくだろうか。




やっぱり「デフレを解消せよ」でFA。