「三位一体」解消法


たまに自分が知ってることを書いて注目されるとばつが悪い(挨拶)。


「「勢い」のあるプロジェクトが生き残る理由」についてのはてブのコメントとかトラバを読んで思ったことをつらつらと。


結局のところ、「事業=部署=キャリア」という「三位一体構造」をどうやったら解消できんのよ?というのが最大の関心事項みたいだ。一応僕なりの仮説を以下に書いてみるが、こんなのできねーよという話かもしれない。ま、そこはブログってことで過剰な期待はなしよ、と。


あと、読みやすさを考えれば複数のエントリに分けるべきかもしれないが、別に読みやすさを追求してるわけでもないので、取れたて長文のままお届けします。



「うまくいっている」という状態をどう定義するのか


そもそもの出発点である「回収期間法はおかしい」というのはなぜかというと、回収期間法ではその事業が「うまくいっている」のか「いっていない」のかの判断が出来ないからだ。


基本的に、儲かっている事業であれば存続の可否の検討なんてものがそもそもが起きないわけで、「これどうする?」と検討されるってことはうまくいってるかどうか微妙な(たいがいはダメな)状態になってるということだという点。


問題は、

  • どのような状態を「うまくいっている(=儲かっている)」といっているのか
  • なにか手を打てば儲かる可能性はあるのか
  • その打ち手にはどのくらいのリソース(ヒトとかカネ)が必要なのか
  • よけい傷口を広げないか

といった判断基準が明確になっていないということに尽きる。


例えば、毎年毎年ちょっとの赤字とちょっとの黒字を行ったり来たりしてるビジネスなんてものがある。不幸にして赤字の年に当たっちゃったら担当者が飛ばされるという地雷のようなプロジェクトだが、資本コストがゼロならこの赤字と黒字を相殺した上でトータルで浮きか沈みかを判断することもできるんだが(徹夜麻雀みたいだが)、通常事業に投資されているお金は資本コストがかかっているので、ある程度のプラスのキャッシュフローを生み出さないと存続させることは難しい。


回収期間法とは、ここでいう「資本コストゼロ」というありえない条件を設定してしまっている評価方法なんだということ。これでまともな事業評価が出来るほうがおかしい。


とはいえ、事業の中身は千差万別。それをたった一つのものさし(例えばDCF)で評価するのは問題だと思う人もいるかもしれない(実際言われたことあるし)。でもそもそもの「ものさし(=回収期間法)」が歪みまくってるのはスルーですか?しかも、その歪んだ評価基準で業績評価とか人事評価されても困るんですが、という話でもあったりする。


そしてこの歪んだ評価基準を使っちゃってることが「三位一体構造」を存続させる原因になっていると僕は思う。

「サンクコスト」にこだわることが問題


前のエントリで不幸にして飛ばされてしまったA部長は無能な人だろうか?もしくはその後で事業を存続させたB部長は優秀な人材だろうか?という疑問がある。


仮にA部長は新たな投資もせずに与えられた条件で最大の成果をあげた人かもしれない。一方、B部長は新たに10億円投資して、それで事業を拡大させてうまくいったのかもしれない。政治力の差だよという見方もあるかもしれないが、果たしてどちらが優秀なのか。


回収期間法がマイナスに働く原因の一つに「サンクコストにこだわる」というものがある。ファイナンスの世界では、「過去に投資したお金それ自体はなにをやったって戻ってこない」という実に健全な考え方がある。これを言うとたいていの人から反発を喰らうんだが、でもこれは当たり前の話だ。


「サンクコスト」で言っていることは、「投資したお金分を投資した設備や事業で稼ぐことはできるが(できないかもしれないけど)、投資したお金それ自体は戻ってこない」ということ。投資をしちゃった後に考えないといけないことは、目の前にある店舗なり機械なりでどうやって稼いでいくかという話だけであって、投資したお金を取り戻すことではない。そもそも回収の見込みがあるかどうかは投資の決定をする段階で検討すべき話であって、投資をした後でその判断の良否をいくら議論したって投資したお金は戻ってこない。投資しちゃったらあとは頑張るしかない。


でも回収期間法は、このサンクコストをいつまでもひっぱる。「100億投資しちゃったんだから、なんとしても回収しろ」という話だ。言い方を変えれば「過去の投資判断を正当化したい」という願望がついて回っている考え方だ。


そしてこの「過去の投資判断を正当化したい」という願望は、全く正反対の二つの歪んだ行動を引きおこす。


一つは萎縮思考で、「これ以上回収しなきゃいけない金額を増やしたくない」というもの。「もう既に100億円も投資しちゃってるのに、さらに10億円も投資できるか」という話。


もう一つは暴発思考とでも言えばいいのか、「ここまでカネを突っ込んだんだからなんとしてでも回収しなきゃ」という誤った判断。ギャンブルで負けていく人の典型的なパターンですよといいたくなるんだが、「あの100億円を取り返すまではこの勝負、降りんぞ」という話。


そしてこれがダメなプロジェクトをますますダメにする。投資はやっちゃった時点で取り返しがつかないものだ。そして、新たに投資するときは過去の投資額を考えちゃいけない。10億円を新たに投資するかしないかは、ゼロベースで考えないといけないのだ。過去に投資した100億円は戻ってこないんだから、このプロジェクトが今後どういうキャッシュフローを生み出すかだけが判断の基準にならないといけないのだ。そして新たな10億円の投資がこのプロジェクトに必要であれば(そしてそれによって生み出されるキャッシュフローが十分なものであれば)投資をためらってはいけない。逆に、取り戻すまではいくらでもつっこんでやるぜといったギャンブルみたいな追加投資もやってはいけないのだ。株主のカネをなんだと思ってるんだお前たちはと、小一時間。


しかし、多くの企業では未回収の過去の投資にとらわれちゃってる。そして新たな投資というオプションが与えられない萎縮思考の犠牲となった哀れなA部長は飛ばされちゃう羽目になる。逆に一発逆転大博打にうまく乗っかったB部長は晴れて昇進する。どちらも回収できるはずもない「サンクコスト」が生み出した悲喜劇だ。

責任があるのは「事業を行う人」か、「投資判断をする人」か


さて、やっと「三位一体構造」をどう解消するかの話になる(相変わらず長文だな)。


結論はもの凄くシンプル。「事業」「部署」「キャリア」の三つのレイヤーそれぞれの目的を明確化して、それぞれの目的に対する責任を分離すればいいだけだ。

「事業」レイヤー


まず、「事業」の目的はなにか。株式会社であれば、それは株主から預かったお金を、株主の期待する水準まで増やしてあげることだ。そのために、資本コストに見合った適性リスクの事業ポートフォリオを組んでそれを着実に実行していくことが求められる。これは誰の責任かというと経営陣の責任だ。事業ポートフォリオを考え、資本コストからみていけそうな事業にリソースを割き、ダメそうな事業からはリソースをひっぺがすのが経営陣の仕事だ。


そして、このリソースの配分こそが投資の意思決定だ。この投資はうまくいきそうかどうか、どの水準のリターンを要求するか、うまくいかなかった場合はどの段階で追加投資/撤退をするかを考え、決めるのがこの人たちの役割だ。


そして毛色の違う様々なプロジェクトを同じ尺度で評価するためには現時点ではDCF法が最も適していると僕は思う。もっといい尺度が今後出てくるかもしれないが、現時点ではDCF法しかないし。


予測できないアクシデントが起こった場合のヘッジ手段を考えておくことも経営陣の役目だろう。「地震が起きちゃったから倒産します」では困るわけだ。そして予想外のプロジェクトの失敗に対してもそれなりのヘッジ手段を考えておくこと(もしくはあまりにリスキーな事業に首を突っ込まないこと)も仕事でしょ。


そしてこれに対する報酬も経営陣が受け取ればいい。事業ポートフォリオがばっちりで株主の期待にこたえられるのであれば株価もあがるだろう。なので経営陣にストックオプションを持たせたり、自社株を買わせることは理にかなってる話だ。

「部署」レイヤー


次に「部署」の目的はなんだろうか。それは意思決定された「事業」の達成すべき目標を満たすことだ。この目標には色んなものがあるだろう。お前のところはもう安定ビジネスだからあんまり無理はせずに予算を着実に実行してね、というのもあるだろうし、新しいビジネスを立ち上げるぞという目標もあるだろう。


どちらにも共通するのは、これこれの投資をするからこれだけのキャッシュフローをこの期間で達成してね(はあと)というのが明確になっている点だ。裏を返せば、合理的な理由もなくこの目標が達成できなかったらこの事業やめるねという暗黙の合意が存在するということだ。


「事業」にはどうしたって不確実性はついてまわるわけで、その不確実性を社員に押し付けたってお互い不幸なだけだ。不確実性をリスクに転換することは経営陣の役目だが、その可視化のための具体的方策を考えるのは現場でビジネスをやってる「部署」の仕事だろう。


「部署」がとるべき責任は、予想されたリスクの範囲内で目標であるリターンを達成できたかどうかだ。出来てればボーナスをはずんでやれという話。不可避的なアクシデント以外の理由で目標達成が出来なかったら部署はお取り潰し。

「キャリア」レイヤー


結局、「事業」の目的があり、それを達成するための組織として「部署」があり、社員はそれぞれの目的に応じて頑張るだけのお話。安定した事業に配属されている場合は予算を着実に実行する能力が求められるだろうし、チャレンジングな新規事業に配属されれば大立ち回りを演じる能力が必要かもしれない。それぞれの「事業」「部署」で求められる能力も違うんだし、成果について与えられる報酬も違って当たり前だろと思う。


着実な事務処理能力がある人はそういう部署にいけばいいし、派手などんぱちが好きな人はそっちにいけばいい。部長になるよりは現場でどんぱちの指揮をとってるほうが性にあってる人なんて一杯いるし、逆にそういう人をデスクワークに縛り付けることの弊害も考えて欲しい(下が困るんすよ、ほんと)。

結局、「三位一体」とは本来経営陣が担うべき責任まで現場に押し付けてるだけの話


事業がうまくいくかどうかなんてやってみなければわからんというは当たり前の話。でも、うまくいかなかったときの対策なり責任を事前に考えて意思決定するのが経営陣だろ、と。で、意思決定の段階で考えられる色んなシナリオ、リスクを検討して事業の「Go / No Go」を評価する手法には結局DCF法くらいしかない。


回収期間法は、経営陣たちの意思決定の誤りが表面化するのを先延ばしにするのに都合のいい評価手法だ。「回収期間法」は、時間の概念がすっぽり抜け落ちてる評価手法なので、いつまでに成果をださないと意味がないというタイムリミットがない。なのでA部長でダメならB部長、という話もまかり通ってしまう。で、たまたまうまくいった(NPVでみればはるかにマイナスだとしても)n番目の部長さんを昇進させれば無問題という構造になってしまっている。


時間の概念を入れればこの「三位一体」が持続可能じゃなくなる。DCF法では過去の投資は正当化されなくなる。なので、この手の事業評価手法を導入したら、役員さんに上り詰めてるお歴々の過去の投資判断の間違いも簡単に表面化する。だってNPVで見たらひどいことになってる事業なんて一杯あるんだし。


だから日本企業のROEは低いんだよ!な、なんだt(AA略


ここまで考えると、日本企業にDCF法が浸透しない理由も見えてくる。誰だって過去の失敗の責任なんてとりたくないしね。ま、それじゃいかんのだがw

事業はファイナンスでできてるんじゃない!現場で(ry


最後に一つ。


ファイナンス業界の至言で「ダメな事業はセクシーなファイナンスでは救えない」というのがあるが、逆もまた真なりで、「セクシーなファイナンスがいい事業の十分条件ではない」ともいえる。


実際の現場には「勢い」が必要だと思いますです。