なにやら一部で盛り上がっているフィリップスカーブについて(2007/11/06 22:57 問題個所修正&追記&謝罪)

**econ-econome氏によるコメントでのご指摘の通り、「弾性値」という記述に重大な問題があったので修正しました。読みにくくなっていますが、ご容赦ください。
**ご指摘ありがとうございました>econ-econome氏
**修正点は元の間違い修正後もしくは若干の追記(追記)という書式にしています。漏れがあったらご指摘ください


今度は「フィリップスカーブ」か(挨拶)。


池田先生のエントリ(池田信夫 blog 日本地図はデフレを予告していた?)を何度読み返しても意味がわからなかったんだが、コメント欄を読んでやっと『何を誤解しているのか』が分かった気がする。


以下、僕なりにたどり着いた「池田先生が勘違いしていると思われる点」についての仮説を説明する。


ちなみに、フィリップスカーブとはいったいなんぞやとか、デフレ下にある日本におけるフィリップスカーブの解釈等々についてはこの辺を参照のこと。
第17回 フィリップス曲線 森崎初男
フィリップスカーブに関する「二つの理解」 - 日々一考(ver2.0)


このエントリは、あくまで「池田先生が勘違いしていると思われる点」についての仮説のみに言及する。


そしてこれが僕の仮説だ。


仮説:池田先生は「相関係数」と「弾性値近似曲線の傾き」を混同している



以下、順を追ってこの仮説を検討する。

「フィリップスカーブが水平になっている=相関がない」は間違い

フィリップス曲線がほぼ水平になって失業率(景気)と無関係に一定の「自然デフレ率」があるように見える。 したがって、デフレが不況をもたらしたという主張は成り立たない。両者には相関がないからだ。


日本の2000年代では、確かにフィリップスカーブはほぼ水平になっているようにみえる。実際に各年代ごとのフィリップスカーブを僕も作ってみた。ついでに各年代ごとに線形回帰をやってみて、その「決定係数:R^2(=相関係数の2乗)」も求めてみたよ。それが以下のグラフ。



これを見ると、次のようなことが分かる。

  • 1980年代、1990年代前半はフィリップスカーブの傾きが大きい(右下がりの曲線になっている)
  • 一方、デフレが深刻化した(と思われる)1990年代後半から、まだデフレ状態にある(と思われる)2000年代は傾きがかなりフラットになっている
  • 各年代の決定係数(R^2)にはばらつきがある
    • 一番高いのが1990年代前半で、決定係数は0.57程度。これは相関係数にするとだいたい-0.76くらいで、それなりに(負の)相関があるといってもいいレベル
    • 2000年代の決定係数は0.3768で、相関係数はだいたい-0.61程度。まあ多少の(負の)相関はあるかなくらい
    • 一方、1980年代は決定係数0.1994で相関係数は-0.45程度、1990年代後半になると決定係数0.0899で相関係数は-0.30くらいと、他の時期に比べて明らかに低い


となると、先ほどの池田先生の「デフレが不況をもたらしたという主張は成り立たない。両者には相関がないからだ。」という記述はおかしくなる。

2000年代の相関係数は別に低くない
自然科学の人から見たら噴飯モノかもしれないが、社会科学だったら-0.61程度でも「まあなんらかの(負の)相関はあるよね」と言っても許されるかも。つか、1980年代(-0.30)とか1990年代後半(-0.45)に比べたら(負の)相関は強いよね
相関が小さい時期は景気が大きく上下動した時期とも思える
1980年代は円高不況+バブルのコンボがあった時期であり、1990年代後半は、ようやく回復してきたかに思えた景気を消費税増税(1998年)で吹き飛ばしてしまった時期だったりする
逆にいえば景気が比較的(低位で(泣))安定していた時期は相関係数が高い
つまり、変なショックがない時期(バブルとか消費税増税とか)には「物価上昇率」と「失業率」にはトレードオフ(=「負の相関」)がある程度成立していそう


こうやって各年代ごとの相関を見てみると、池田先生は、相関が高いと思われる時期を根拠として「相関がない」と主張するということになってしまっているのではないか。


この矛盾した主張が何から生まれているのか僕にはどうしても分からなかった。が、コメント欄を読んで疑問が氷解したのである。

「デフレ」と「失業率」の弾性値を単純回帰した場合の傾きの推計値


「弾性値」とは、「ある変数が1単位変わったときに、他の変数がどの程度変動するかの比」とでも思っておいてくらはい。例えば所得弾性値ってのは「可処分所得が1%増加した際に消費支出が何%増加するかを示した数値」となる。


さて、ではここで各年代の「物価上昇率」と「失業率」の弾性値を単純回帰した場合の傾きの推計値を求めたい。計算は簡単。回帰式のxの係数をみればいいだけ。この係数は見てのとおり、「物価上昇率」と「失業率」のトレードオフを表しているため負の数値になっている。つまり「失業率が1%ポイント(追記)上がれば物価上昇率は何%ポイント(追記)下がるか」ということ。


表にすれば以下のとおり。

弾性値近似曲線の傾きの推計値
1980年代 -1.787
1990年代前半 -2.6635
1990年代後半 -0.4637
2000年代 -0.5202


当然ながら、弾性値近似曲線の傾きの推計値が「ゼロ」に近づくと直線は水平に近くなる。


この数字を無理やり解釈すると「1990年代前半までは『失業率』が1%ポイント(追記)上昇すれば、物価上昇率は1%ポイント(追記)以上(約2%ポイント(追記))低下していたが、1990年代後半以降はこの変動が小さくなっている」とでもなる。


そして、この「弾性値近似曲線の傾きの推計値」と「相関係数」の混同が今回の池田先生の『矛盾』の原因だと思われる。

相関係数」と「弾性値近似曲線の傾きの推計値」の混同


以下の引用は、該当エントリのコメント欄より。

「相関」というのは、45度線になったときが最も高く、垂直または水平になったときはゼロ(相関なし)です。


これがおそらく最大の間違いであり、なんとも珍妙なフィリップスカーブの解釈の原因なんだろう。


まず、相関係数は「−1」から「1」までの値をとる。相関係数の最大値は確かに「1」ではあるんだが(正だしな)、相関の「度合い」をあらわすのであれば、「1」とか「−1」は完全な相関を表すし、「0」なら全くの無相関ってことだ。さらにいえば別に45度線じゃなくても相関係数が1になるものは無限に存在する。


逆に相関係数が「ゼロ」というのは、満遍なく散らばった状態であり、別に水平とか垂直ってことではない。


ここでご自分の「相関」という概念理解を示すために「45度線」を持ち出してくれたおかげで分かったよ。つまり、池田先生は「相関係数」と「弾性値近似曲線の傾きの推計値」を混同しているわけだ。


弾性値は上でも述べた通り、近似曲線の傾きの推計値の意味するところは「xが1変化したときのyの変化の比」だから、「y=x」という45度線のとき、弾性値傾きは「1」となる(ちなみに弾性値傾きの最大値は無限大だ。この場合は限りなく垂直に近づくわけだ。ついでに最小値はマイナス無限大ね)。このとき当然ながら相関係数は1だ。だって一直線上に並んでるわけだから。


一方、弾性値近似曲線の傾きの推計値が「0」に近づくと直線の傾きは水平に近づく。「y=0.000000001x」は確かに水平に見えるだろう。そしてこのときxが変化しても、yは微々たる変化しか見せないだろう。が、しかし、このときも残念ながら相関係数は「1」だ。だってこれも一直線状に並んでるんだもん。


弾性値近似曲線の傾き相関係数は全く別の概念だ。一見すると両者とも変数間の関係を記述しているように見えるが、両者の意味するところはまったく異なる。


そして、池田先生が「相関係数」と「弾性値近似曲線の傾きの推計値」を混同したと仮定すれば、このフィリップスカーブから、次のような<間違った>解釈が可能になる。

1990年代前半まではフィリップスカーブが右下がりだ
ある程度の大きさの弾性値近似曲線の負の傾き(=物価上昇率と失業率のトレードオフがある

     ↓

しかし1990年代後半から2000年代にかけては水平に見える
つまり弾性値近似曲線の傾きの推計値は「ゼロ」に近くなっている

     ↓

ということは「物価上昇率」と「失業率」の『相関』は弱まっている!!!1!!!←ダウト
なので「デフレ(=物価上昇率がマイナス)」という現象と、「失業率(=景気の悪化)」の因果関係は2000年代には弱まっているのだ!!!111!!!!

     ↓

つまり「デフレ」は金融政策以外の問題(中国発デフレ論とか)、「失業」は産業構造の変化の問題なのだああああああ!!!11!!!!!11!
リフレ派は氏んでいいよwwwww


この解釈が間違いなのはいうまでもないよな。


元のフィリップスカーブのグラフを見た場合の、ごく普通の解釈は以下を参照ください。
また池田信夫氏が変なことを書いている - 青い山びこの日記


結論:もしこの仮説が正しいのであれば、統計学の基礎をおさらいしたほうがいいと思います


ついでに経済学も
(追記)いや、僕こそ経済学を勉強しなおそう。


というわけで、「相関係数」と「弾性値近似曲線の傾きの推計値」を勘違いしたという仮定の元であれば、池田先生のエントリはどうにかこうにか解釈可能となったわけである。スッキリしました。


もし誤解等々ございましたら伏してお詫び申し上げます>池田先生


それ以前に、このエントリの「弾性値」の使い方自体が間違ってました。深くお詫び申し上げます>池田先生およびこのエントリを読まれた方々


蛇足1:この場合の「弾性値近似曲線の傾きの推計値」といえば逆数を取りたくなるよな


ここでは各年代の「物価上昇率が1%ポイント(追記)下がれば、失業率が何%ポイント(追記)上がるか」という視点で弾性値近似曲線の傾きの推計値を計算したい。計算は簡単。回帰式のxの係数の逆数を計算すればいいだけ。見てのとおり、「物価上昇率」と「失業率」のトレードオフを表しているため負の数値になっている。


結果は以下のとおり。

弾性値近似曲線の傾きの逆数の推計値
1980年代 -0.578
1990年代前半 -0.375
1990年代後半 -2.157
2000年代 -1.922


誤解を恐れずにこの数値の意味するところを説明すれば以下のようになる。


まだデフレではなかった(もしくは深刻ではなかった)1980年代・1990年代は、物価が「1%ポイント(追記)」変動したとしても失業率は「0.3〜0.6%ポイント(追記)」程度しか反応しなかったが、デフレが深刻化した1990年代後半以降、「デフレが1%ポイント(追記)進むと、失業率は2%ポイント(追記)程度上昇する」ようになってしまったということだ*1


この数値を見るにつけ、ほんのちょっとでもデフレ状態になるということがいかに甚大な被害をもたらすということを改めて実感した次第。

蛇足2:もしかして、ネタである裏返しのグラフに引きずられてしまったのか?


だいたい、フィリップスカーブ自体は「右下がり」を描くので、相関とかなんかを持ち出すとしたら「マイナス」の相関係数を持ち出しそうなもんなんだが、いきなり「45度」とか「1が最大」とかって言い出したってのは、裏返しにした日本列島ライクなグラフの印象に引きずられてしまったのかもと書いてて思った。

*1:ちなみに、この推計自体はもの凄くいいかげんなものなであって、この計算はあくまで池田先生の『矛盾』を解釈するための思考実験なので信用しないように