「勢い」のあるプロジェクトが生き残る理由


【追記:『「三位一体」解消法(2007/3/6)』に続編書きました】



または「なぜ日本企業にDCF法が浸透せず回収期間法が生き延びているのか」


昨日のエントリに関連しての話だが、日本の企業の多くでは事業の評価方法として回収期間が重視されていた(今でもされてるだろうけど)。回収期間法とは、「当初の投資額が、その事業の上げる利益によってどの程度の期間で回収できるか」というのを見る方法。いわゆる「3年で単年度黒字、5年目で回収」って言い方ですな。


この回収期間法は使い勝手はいい反面、ファイナンス的に見ればナンセンスな代物なわけだが(「回収期間法とは | グロービス・マネジメント・スクール」あたりを見てもらえれば)、それでもまだまだかなり根強く残っている事業評価方法である。


僕は、この手法がしぶとく生き残っている理由は、実はこの「回収期間法」での評価が日本企業のコミットメントのとらせ方と非常に親和性が高いからではないだろうかと考えている。

事業の成否と自分のキャリアとの密接な関連


普通、大企業では自分の所属する部署が担当するビジネスはあらかた決まっている。電機業界であれば、エアコン事業部だったり、発電タービン事業部だったり、メモリ事業部だったりという感じで。


一般的に、その事業部に配属された社員はその事業部内でキャリアを形成していくことになる。最初は平社員から始まり係長課長を経て、部長くらいからあるまとまった単位の事業の責任を持たされる。ここで言う責任とは、予算を決定する権限だったり、投資のための稟議書の現場での最終承認者だったりするし、もう一方の責任としてその事業の業績の良否の責任も負わされることになる。


このパターンのキャリア形成は一つの特徴がある。それは勤続年数によってだいたいどの程度のポジションに昇進しているかというモデルケースが存在することだ。入社10年目くらいで課長。その後10年くらいしたら部長に。そこで業績を上げれば40歳後半で事業部長、もしくは執行役員、そして最終的には取締役ってな感じだ。


このような階段状のキャリアパスが前提となっている場合、その部署が行っているビジネスはある強い前提を持っている。それは「今行っているビジネスを次の人に連綿とバトンタッチしていく」という前提だ。部署に事業が引っ付いているというか、事業=部署というか、まあそういう構造になっている。


するとどういうことになるかというと、短期的に儲かっていないからといってその事業をやめてしまうことが出来にくくなってしまうということである。


本来であれば、見込みのない事業に関してはこれ以上リソース(カネでありヒトであり)を突っ込むべきかどうかという点を常に見直すべきなんだが、事業=部署=社員という構造になっちゃってる場合、事業を見直すということは、その部署の構成員のキャリアパスを破壊することに直結しやすい。いったん課長なり部長になっちゃった人を別の部署の平社員に回すなんてことはあんまりしないよな、普通(よくあるパターンは子会社への出向という名の左遷か)。


そしてこれは業績評価をする立場の人間からしても困ったことになってしまう。短期的に儲かってないという基準で事業=部署=自分のキャリアをつぶされた場合、当初の数年は赤字が続きそうな新規事業に手を出すというのは非常にリスキーなミッションになってしまうのだ。


しかしこれでは企業としては困る。既存事業はいずれ事業として成熟してしまうわけで、ある程度新たな事業領域に手を出していかないと企業としての成長は見込めない。ではどうするか。経営者としては、短期的な事業の成否だけではない評価をするから、お前ら新規ビジネスを立ち上げやがれという話をせざるを得ない。


そしてこの構造が回収期間法による事業評価に結びついていくのである。

回収期間法とコミットメント


回収期間法の最大の特徴は、通常のDCF法と異なり、将来のキャッシュフローの現在価値を無視すること、この一点に尽きる。5年後に叩き出すかもしれない100億円の利益はそのまま「100億円」とカウントしちゃうのだ。将来のキャッシュフローを現在価値に置き換えてしまうと、このプロジェクトのNPVはマイナスかもしれない。しかし、新規事業担当のA部長がこの事業を続けていって、5年後に100億円の利益を達成した場合、彼は晴れて事業部長(とか執行役員とかに)に昇進するのだ。


仮に、5年後にもまだ赤字を垂れ流している場合はどうか。その場合のよく見る対処方法は、新たにB部長を新規事業担当に任命して、A部長には子会社へ退場して頂くってパターンだ。そしてB部長に与えられるミッションは「今までの投資を回収してくれ」というものになる。


本来のファイナンスの考え方であれば、B部長が就任する際、今までのA部長の下で行ってきた投資は「サンクコスト」として一切の検討材料からははずさなくてはいけない。いくら何をやっても今まで投資したお金それ自体は戻ってこないんだから。


なので、「A部長の下で50億円の投資が行われてきたから、B部長は最低でもこの50億円を回収しろ」というミッションはナンセンスなのだ。B部長が考えなければいけないことは、その時点からこの事業が今後どれだけのキャッシュフローを生み出せるかを判断すること、その一点に尽きる。生み出せそうならさらに投資をすることも正しいし、どうもダメそうならその事業はやめるというのが適切な判断だ。


しかし、その事業をやめようとB部長が決断した場合、今度はB部長の処遇に困る。そんなにポストなんて空いてないしさ。


つまるところ、B部長は新規事業部の部長への昇進を打診される際に次のようなセリフを言わされる羽目になっている。


「何があろうと、この事業を成功させて見せます」


これは、実は事業の成功だけを意味しているわけではない。この手の「事業の成否」と「その部署の存続」と「個人のキャリア」が不可分な関係になっている場合、それは「この事業が失敗することは君のクビを意味するよ」という話でもあり、「成功すれば事業部長への昇進」を意味することでもある。


つまり多くの日本企業では「事業評価」は「人事評価」でもあり、「事業の継続か撤退か」の判断は、「担当者を昇進させるかクビにするか」という判断に直結してしまっている。投資したお金に見合うだけの収益を上げているかという判断基準ではなく、事業を存続させるだけの手腕なりやる気なり必死度合いを評価すると言い換えてもいいかもしれない。なので「石にかじりついてでもこの事業を成功させて見せます!!!」という「勢い」のある人材がA部長の後釜に据えられるのは容易に想像がつく。

で結局「勢い」が重視され、ファイナンスは「勢い」のないダメな奴の言い訳とみなされる


というわけで、日本の多くの企業で「事業=部署=キャリア」の三位一体構造が続いている限り、「様々な将来の状況を検討した結果、このプロジェクトは推進するべき/撤退するべきです」といった物言いは歓迎されない。「向こう3年で黒字化して見せます!」とか「売上100億円を達成します!」といった「勢い」のある物言いのほうが受ける。プロジェクトのリスク分析ではなく、自分のキャリアをベットしたほうがコミットメントとしては強いよねという話。


定量的なシナリオ分析、例えば「売上が当初予測の50%の水準に落ち込んだ場合のCF」なんてものを説明しようものなら、「そんな弱気でどうする!なんとしても当初売上計画を必達するのが君の役目じゃないか!」と叱責されて終わる。そして「3年後に黒字化できれば君は晴れて事業部長に昇進だ」という話になる。

どうみても順番が逆です。本当にありがとうございました


事業なんて本来不確実なものであって、属人的要素以外の社会変動とかアクシデントは不可避なものなんだが、多くの日本企業は「それをなんとかするのが君の仕事じゃないか」の一言で済ましちゃってる場合が多い。事前に不確実性をリスクに転換しようと色んなヘッジ手段を検討すれば、「やる前から失敗したときの言い訳を考えるとはいかがなものか」といわれちゃうしな。


んで、結局評価基準が「資本コストに見合った適切なリターンを達成しているか」ではなく、「この事業を存続させるだけのやる気を見せたか」という曖昧なものになっちゃってるもんだから、ファイナンス的に見れば完全な不採算事業がなんとなくずるずると生き残ってたりする。現在の役員さんが部長時代に成功させた事業なんてこのパターンになってるケースって多いよなとか(「俺の目の黒いうちはこの事業はつぶさせない!」とか)。


本来なら、株主から預かった資本が本来達成すべきリターンというものがあって、その水準に満たない事業はとりあえず見直さなきゃという考え方がファイナンス的視点。なのでこのハードルを下回るリスクには何があるか、その場合の打ち手は何か、最悪の場合どのタイミングで撤退をすべきかなんてことを検討するのが本来のあり方。


でも現実は、過去の投資をあらゆる手段を使って回収するという基準で動いている場合が多い。その時点で順番逆だろと言いたいわけで、B部長の次にもっとやる気のあるC部長をはめ込んだって筋の悪い事業は筋の悪い事業のままだったりするわけで、そんなのはとっととあきらめて別の有望プロジェクトにリソース割いたほうがいいんじゃね?とか思うわけだが。


今までは日本経済が拡大基調でこれたから、少々見通しの甘い事業でもなんとかなってきたんだろうけど、そうも言ってられない時代だし、企業の収益性に対する投資家の目も厳しくなってきている昨今、この手のマネジメントはそろそろ見直したほうがいいと思うんですが、余計なお世話ですかそうですか。