「トンデモ本」アフィリエイトの経済学


あるいはトンデモ経済学のパラダイス鎖国、もしくはネガコメはやさしさ2.0(挨拶)



逆選択


wikipedia:逆選択

情報の非対称性が存在する状況では、情報優位者(保持している情報量が多い取引主体)は情報劣位者(保持している情報量が少ない取引主体)の無知につけ込み、劣悪な財やサービスを良質な財やサービスと称して提供したり、都合の悪い情報を隠してサービスなどの提供を受けようととするインセンティブが働く。


そのため、情報劣位者は良質な財やサービス、契約相手などを選択しようとするのであるが、結果的にはその逆の選択が行われているかのような状況に陥ってしまうことがある。このような、取引前に行われる機会主義的行動(モラルに制約されない利己的な行動)が、逆選抜である。


つまり逆選択とは売り手と買い手の間にその商品やサービスに関する情報ギャップがあって、優位な情報を持っているほうは、そのギャップを自分の都合のいいように利用してやろうとすること。


で、この逆選択には情報優位者が買い手の場合と売り手の場合の二種類がある。それぞれの代表例もwikipediaに載っている。ここでは簡単にwikipediaの例を説明。

買い手のほうが情報優位者のケース:保険市場


例えば医療保険に入ろうとしている人がいるとする。通常保険というのは「平均的な確率」に基いて保険料を決めているので、本来加入者も平均的にばらついてくれるのが望ましい。


が、健康的な生活を送っていてあまり保険の必要性を感じない人は、この医療保険を高いと感じて加入しない。逆に不健康な生活を送っている人はこの保険は割安だと思って加入してくる。すると、本来平均的にばらついて欲しいはずなのに結果的に高リスクの加入者だらけの保険になってしまい、保険会社は儲からない。

売り手のほうが情報優位者のケース:中古車市場


中古車ディーラーは売ろうとしている車がどのような車か知っているが、買い手のほうは車の品質がよくわからないので、もしかしたら事故車を売られてしまうかもしれないというケース。あと、レストランとかもこのケースに当てはまることが多い。実際に店に入って食べてみないとわからないってやつね。


あ、蛇足かもしれないがこの中古車市場の「情報の非対称性」がどのような影響をもたらすかを扱った有名な論文がある。参考までに見てみるとおもしろいかも。


wikipedia:レモン市場



逆選択」の回避方法


ここでは売り手のほうが情報優位者の場合の対策を考える(買い手の場合を知りたい方はwikipediaとか見てね)。この場合、買い手に正しい情報を与えてあげれば問題は解決する。その際に有効なのが「第三者による品質評価」だ。


例えばレストランの場合だとグルメ雑誌なんかがある。これを見れば大体どういう価格でどういうサービスが受けられるのかの目安になる。まあ中にはレストランとグルになっている雑誌もあったりして、一概に信じられないケースもあったりするんだが、その場合は、公的な機関が品質の審査・検定を行うことでこの問題を回避できる。


もう一つの解決方法は、売り手に情報をごまかさないようなインセンティブを与えること。これはプラスの方向とマイナスの方向の2通りがある。


プラスの方向の代表的なものが「ブランド」。ここの商品は安心できるというブランドが確立されれば買い手は商品それぞれの品質を逐一吟味することなく安心して買うことができる。その結果、買い手がこのこの店に集まるので、その店が儲かるという話。このいい循環ができれば、情報の非対称性の問題は緩和できる。


もう一つのマイナスのインセンティブの例は、規制や罰則で売り手に低品質のものを売った場合にペナルティを与える方法。法律なんかで規制する方法もあるし、国とかが品質規準を作って、それに違反した場合は罰金を科したりするような話。



書評をするコストとベネフィット


以前、「書評にもコストがかかる」と書いたことがある。コストの主なものを列挙すると


などがある。今まではこのコストを個人が金銭的に回収する手段はなかったんだが、ブログのアフィリエイトが生まれたことでこのコストを回収することは可能になった。


が、通常の泡沫ブログであれば、アフィリエイトなんてたいした金額にはならないので、書評を書く機会費用のほうが高くなってしまうだろう*2。なので、積極的に書評を書いてアフィリエイトを行うのは、ある程度の規模のPVがあるブログに限られるだろうと予想できる。


そしてこのアフィリエイトが「トンデモ本」の逆選択を引き起こしている。



「トンデモ」本をアフィるインセンティブ


本というのは実際に読んでみなければ品質はわからない。書評を書いている人は実際にその本を読んでいるので品質に関する情報は持っているだろうが、まだ読んでない人はその本がまともなのか「トンデモ」なのかを判断する情報をもたない。特に発売前の本なんかだと一般の人がその本の中身を知る術は絶対にない。


しかし、アフィリエイトをする立場からすると、少しでもコストを回収することが合理的なので、誰かが間違ってでも買ってくれれば御の字であり、「トンデモ」だろうがなんだろうがとりあえずアフィリエイトに乗っけることが合理的だ*3。つまりここで「逆選択」が起きてしまう。



このアフィリエイトの「逆選択」を防ぐ方法


この「逆選択」を防ぐ方法として先ほど見たように「売り手が情報優位の場合」の対策が有効になる。


まずは「第三者による品質評価」。これは対象となる本の評価を中立的な人が行うケース。例えばより中立的(利害関係のなさそうな)書評を見るというのが一つ。例えばAmazonの評価を見るのも一つの方法だし、新聞や雑誌の書評を見るというのもあり。また、アフィリエイトをやっていないブログの評価も「第三者的=金銭的利害が少ない」と見ることができる。まあ中立的に見えても実際はそうじゃないというケースは多々あるので、これも絶対的な対策とは言いがたい。


もう一つのインセンティブを与える方法。一つは「ブランド」。これはまあ言うまでもない。あそこのブログはろくな本を紹介しないよね、という評判が立つというのはまずいよね、という話。


で、現在まったく取られていないのが、ペナルティというマイナスのインセンティブ。例えば「アフィリエイト経由で買った人が返品してきた場合、そのアフィリエイターにその商品金額をペナルティとして請求する」なんて規則が課されると、おそらくアフィリエイトをする際にブロガーも相当に慎重になるだろう。


こういった「逆選択」を抑える対策がそろそろ必要なんじゃないかなと個人的には思う。ただ、アフィリエイト経由で売れている本の数量なんて高が知れてるとは思うので、まだまだ対策って話までにはいかないのかもしれない。




しかし、実は「トンデモ」本問題はそれほど単純ではない。それは「トンデモ」本に一定のニーズがあるという問題があるからだ。そしてこの「一定のニーズ」は「ブランド」や「第三者評価」といった逆選択の対策を無効化しかねない勢力だ。



オルタナティブ」層の存在


例えば、いまだに「相対性理論は間違っている」系の本がそれなりに出て、それなりに売れるように、世の中には本流を外れたモノを好む層というのが一定数存在する。それらすべてを「トンデモ」と呼ぶのはさすがにアレなので、ここでは「オルタナティブ」と呼んでおく。


経済学界隈で言えば「GDPは『豊かさ』を捉えきれない」とか「デフレは不況の結果であって原因ではない」とかいろいろあるんだが、まあそういう類。こういうのって、いくら反論したって無駄なんだろうなと思う。だって、ニーズがそもそも違うんだもん。つまり「オルタナティブ」ってだけでニーズがあるってこと。内容がどうこうではなく、ただ単に「オルタナティブ」というだけで喜ぶ人たちという層が必ず存在する。実際、もしこういう層が存在しなければ出版社も執筆を依頼したりしない。


こういった「オルタナティブ」好きの人たちは、既存の経済学を否定するのが目的であり、経済学を学びたいわけではないらしいというのが最近わかった。そもそも、否定する対象のことをよく知らないで批判してるしな。どうせ批判するのなら核心を突く批判をすればいいのに、と思うが、そのために投資をするのは許せないようだ。なので常にこれらの「オルタナティブ」な方々は「俺様定義」を持ち出して批判を繰り返すのみで、一向に話は前に進まない。が、「オルタナティブ」の人たちは「否定してやったぜ!」で満足なので、また別の否定のネタを探しに行く。


そして、この「オルタナティブ」理論には次の特徴がある。

オルタナティブ理論はコストが安い
アカデミックな分野で専門的訓練を積み、それを論文にまとめて評価されるためには莫大なコストがかかる。しかし、オルタナ系の人たちはそういうコストを負担しない。「既存の理論に疑問をもって独学」とか「脳神経系の人が語る経済学」とかって、ものすごく低コストでオルタナティブ理論を語れちゃう
評価をリスクにさらすこともない
で、だいたいのオルタナティブ論者は、その分野以外の本業を持っているケースが多い。仮にいかにトンデモな経済理論を語ろうが、経済学部の教授でもなければなんでもなかったりするので、経済学の分野でいかに評価が下がろうが本人にはたいしたダメージがないということがよくある。


で、僕の個人的な主観では、「オルタナティブ」を書いたり読んだりする人たちにはある特定の傾向があるように思える。それは、一つの「オルタナティブ」を追及するよりは、「オルタナティブホッピングを繰り返すというもの。「GDPで何がわかる!」と言ってたかと思えば「貨幣制度が問題だ!」と言い出したりして、結局なにが言いたいのかよくわからない。まあわかることといえば「ああ、既存の経済学を認めたくないってことね」くらい。


そんなに「真」の経済学を知りたいのであればまともな教科書一冊読めばいいのにとか思うんだが、そこにリソースを割くことは潔しとしないらしい。つかトンデモ本を5冊読む時間と気力があれば普通の教科書一冊に書いてある数式とか全部追えると思うんだけどねえ。


そして、この「オルタナティブ」層の存在がネット上では意外なインパクトをもたらしている。



オルタナティブアフィリエイトパラダイス鎖国


上でも述べたように、オルタナティブは専門外のことにちょっかいを出すことでそのコスト・リスクを抑えている。専門的な訓練をする投資を回避し、さらに自分の本業(や評価)にはダメージを与えないという意味で、コストもリスクも回避することができる。


そしてこれはもうどうしようもないと言えばどうしようもない。いくら外から「トンデモですよ」と言っても、「オルタナティブにこそ価値を見出す」人たちがいる限り、これを止める術はない。「オルタナ好きの人たち」というある一定数の販売数が見込めれば、低リスクのビジネスモデルが出来上がりだ。外の(というか普通の)経済学の波にもまれることもなく、安定した収益が見込めるわけだ。


そして、そこにロングテール(笑)だ。これでオルタナ系の人たちの出会いはぐっと簡単になった。仮にオルタナティブを好む層が少数であっても、はてブを5つでも集めればすぐにHotEntryに掲載される。そして「これはひどい」というネガコメで中和しようとしても、それはそのエントリにますますトラフィックを流し込む行為になってしまっている。


これは確かにニッチな情報にも簡単にアクセスできるという、まさに「web2.0」的な事例ではあるんだが、まあこれはこれで困ったものだと思う。なぜなら、逆選択を緩和するための「第三者評価」や「ブランド」といったものが意味を持たなくなるからだ。


例えば普通の経済学者の人が「これはトンデモ」と「第三者評価」をしても、この「オルタナティブ」の人たちには受け入れられることはない。そして、ある一定数の注目(例えばはてブ)を集めてしまえば、それが「ブランド」を形成してしまう。その「ブランド」は実はオルタナ系にとっての「ブランド」に過ぎないんだが、ほかの人がそのブランドの意味を判断することは難しい。


オルタナティブ好きな人たちが群れてなにかをやっているのであれば好きにすればという話なんだが、普通の経済学を知りたいという人たちが人気ブログに蹂躙されそっち側に迷い込んでいく様はとてもとても悲しいものだ。



ネガコメは「やさしさ2.0」


というわけで、前回のエントリを書いた理由を述べる。


別に僕はdankogai氏がどのような経済学を好もうが知ったことじゃない。が、あれを「普通」の経済学だと思って迷い込む人にはアラートを発したい。わざわざへんな「けものみち」に迷い込む必要はないと思うので。


そして、膨大に出版される経済本を一つ一つ「オルタナティブ」であるか否かを評価するほど、経済学者さんたちは暇ではないし(機会費用が高い)、また自己の業績にも反映されないし、下手すると絡まれて大変なことになりかねない(リスクが高い)。


オルタナティブ」経済学を好む人は存在する。それはしょうがない。ただ、「あれはオルタナティブですよ」と指摘することは意味があると思う。そして一般的に言って、経済学を専門にしている人たちにとって、その手の「オルタナティブ」の評価をすることはコスト面から見て効率的ではない。なので、僕みたいな「比較劣位」にある立場の人間がそのへんの面倒を見るほうが効率的だろうと。


その意味で、ネガコメweb2.0時代における「やさしさ2.0」ということで一つよろしく。

*1:献本された場合、この取得コストもゼロになるので、さらにアフィリエイトの収益性は上がる

*2:逆に機会費用が低ければ誰も訪れないようなブログに熱い書評を書くことも合理的

*3:ブログの「ブランド」を重視する立場からいえば、この評判低下のリスクをどう見るかは問題ではある。が、「オルタナティブ」系のニーズをつかんでしまえばこのリスクは回避可能(後述)