コミュニケーション能力について

もじれで話題になっているコミュニケーション能力について書いてみるよ。構成としては以下のような感じになるよ。

  1. そもそも「コミュニケーション能力」なんてものは存在するのか?
  2. 企業(就職)で重視されているとされるコミュニケーション能力とは何か?
  3. 採用段階でコミュニケーション能力はきちんと測定されているのか?
  4. なぜ企業でコミュニケーション能力が重視されるようになったのか?
  5. 今後もこのコミュニケーション能力重視の流れは続くのか?
  6. このコミュニケーション能力を教育で培うことは可能か?
  7. コミュニケーション能力と「もじれモデル」でいうところの『専門性』とはどのような関係があるか?

1.そもそも「コミュニケーション能力」なんてものは存在するのか?

存在すると思うよ。というか、コミュニケーション能力の「高低」が存在すると言えばいいのか。もじれであがっていた枠組みに従えば、次の二つの側面でのコミュニケーション能力の高低は十分日常生活で実感できると思うが。

『ロジカルコミュニケーション』
(論理的プレゼンテーション能力、批判する能力)
『感情・情緒的コミュニケーション』
(空気読む、同調、共感を表明する)

(→http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060112#c1137124833


で、この能力の高低は育った環境とかなんとかに大きく左右されるだろうというのは当たり前の話だが、それが階層固定的かどうかはよくわからん。ただ、ロジカルコミュニケーションについては教育の貢献が大きそうな気もする。まあ、その言い方で言えば感情・情緒的コミュニケーションも家族内や友人、コミュニティ内でのコミュニケーションが豊富だったかどうかとかいう影響もあるな。なので、多少は階層固定的な側面をもつのではないかとは思う。でも、一般的には個人の資質に大きく依存するのではないかと見るべきなのではないかと。


で、ここで強調しておきたいのは、この「コミュニケーション能力」とは絶対的な評価基準ではなく、あくまで相対的な評価基準であるという点(だから「高低」という言い方をしてるんだが)。この相対的という点が後で重要になります。

2.企業(就職)で重視されているとされるコミュニケーション能力とは何か?

ここでいう「コミュニケーション能力」は、そのまま「マネジメント能力」に置き換えられると思う。ここでいうマネジメント能力とはイメージだけで言えば「人を使って事業やプロジェクトを切り盛りしていく能力」という感じか。日経BPの記事もそういう使い方のような気がする。
(→http://nikkeibp.jp/sj2005/report/58/index.html


より具体的というか個別項目的な分解を無理やりするとすれば以下のような感じか。なんかあまり具体的になっているような気はしないが。

  • 対人能力:好きな人とも嫌いな人ともちゃんと付き合えるとか
  • 交渉能力:相手の条件とこちらの条件を折り合わせることができるかとか
  • プレゼン能力:ちゃんと言いたいことが伝えられるかとか
  • 論理的思考力:言ってることが支離滅裂じゃないかとか
  • 計数能力:コスト感覚がちゃんとあるかとか
  • 学習能力:新しい知識とか考え方とかの吸収力があるかとか
  • 適応力:いきなり環境変わってもなんとか慣れていけるかとか
  • 発想力:面白いこと考えついたりするかとか


まあ、これ以外にも挙げていけばきりがないけど、まあこの辺の能力に優れている人材を「コミュニケーション能力が高い」と規定してるのではなかろうかと。

3.採用段階でコミュニケーション能力はきちんと測定されているのか?

結論から言えば、不十分ではあるもののなんとかかんとか測定しようとしているといったところ。ま、ようは少しでも上記に挙げたような資質を持っていそうな人材を採用しようと頑張ってます、といった感じか。


確かに面接とかグループディスカッションとかだけでこれらの能力をきちんと見極めることは難しいが、それでもおおよその傾向はわかる。あと、SPIだかなんだかの特性テストとかの参考数値もあるし。


インターン制を採用すればこういった能力を正確に把握できる可能性は飛躍的に高まる。でも、インターン制は少人数を見極めるのに適した方法であって、ある程度の人数を採用しなければいけない企業が、採用全般にインターン制を導入するのは採用活動コストがかかりすぎるので現実的ではない罠。まあ、少人数採用ならこの方法が一番だと思うけど。
(→http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060116#c1137433238

4.なぜ企業でコミュニケーション能力が重視されるようになったのか?

これには複数の側面があるのではないかと。

採用の絶対数が少ない
企業業績の低迷と中高年層社員の人件費負担等々で、新卒採用を抑制してきたのは事実。そうなると新卒採用の正社員はある意味将来の幹部候補生的な側面をもつ。となるとコミュニケーション能力(=マネジメント能力)のポテンシャルが高い人材が欲しいなあと思うのは道理。
そもそもこの10年くらいは買い手市場だった
企業としては優秀な学生よりどりみどり状態。となれば企業側の無茶な注文も通ってしまう。企業は足切り後の粒ぞろいの学生の中からさらに絞ればいいという行動に出る。
学生側の就職活動テクニック向上
この氷河期のご時世、定型的な採用手段は学生側に研究されまくっているので、ここで差異を見出すのは難しい。となれば、より定性的というか企業側の好みの基準を押し付けることで無理やり選別を行うと。
IT化とか
現在の企業で、オペレーションを考える際には「業務設計」という名の「標準化」「単純化」「省力化」「機械化」を進めることになっている(実際に出来ているかどうかはおいておくが)。この「業務設計」にはワンセットで「業務の派遣労働者への移転」「外注化」なんかがついてくる。で、企業側は少数の「業務設計」が出来る人材が必要なだけなので、その意味ではマネジメント能力が高い人材が欲しいなあ、ということになる。
サービス産業化とか
顧客満足度の時代ということで、愛想が悪いやつなんかイラネということで
新規事業開拓とか
そんなの出来る人材は一握りだよねえということで

などなど。


ま、ようは企業としては自分たちのビジネスのダウンサイジング+新規事業育成が至上命題だったわけで、それに合致する(とおもわれる)人材だけしか採用したくなかったとみることが出来ると思う。「即戦力」といった言い方もこのような流れの中でいわれてきた側面もあると思う。つまり以前は採用後に行っていたマネジメント層の選別過程を、採用時点でやってしまおうじゃねえか兄弟!という話で。

5.今後もこのコミュニケーション能力重視の流れは続くのか?

ある程度は続くと思うけど、数年したら緩和するだろうなと思う。理由は書くと長くなるので箇条書きで。

  • 売上が回復してきている→人足りねえ
  • 2007年問題が過ぎれば人件費負担も若干軽くなる→採用増
  • 企業内の年齢構成ピラミッドがおかしい→まだまだ膨らんでいるバブル世代に比べて、その下がやせ細ってるのでこのままだと企業として持たないからもうちょっと若年層増やさないと
  • 買い手市場じゃなくなりつつある→各社が採用を増やせば、そんな優秀な人材ばっかり取れないよねというのは自明のこと。でもビジネス回していくにはある程度頭数必要だからコミュニケーション能力とか言ってられねえ

などなど

6.このコミュニケーション能力を教育で培うことは可能か?

さて、もじれの話しに近づくわけだが。基本的にはある程度可能だとは思う。でも、全員が全員こんな能力を身に付けることは不可能だろ、という気もするし、仮にこの能力を全員が身に付けたところでポストが保証されるわけではない。


だって、この「コミュニケーション能力重視」の流れっていわゆる「幹部候補生探し」と言い換えてもいい動きだから。全員が幹部候補生になるわけないじゃん。


一応コミュニケーション能力(=マネジメント能力)を再掲してみるわけだが。

  • 対人能力:好きな人とも嫌いな人ともちゃんと付き合えるとか
  • 交渉能力:相手の条件とこちらの条件を折り合わせることができるかとか
  • プレゼン能力:ちゃんと言いたいことが伝えられるかとか
  • 論理的思考力:言ってることが支離滅裂じゃないかとか
  • 計数能力:コスト感覚がちゃんとあるかとか
  • 学習能力:新しい知識とか考え方とかの吸収力があるかとか
  • 適応力:いきなり環境変わってもなんとか慣れていけるかとか
  • 発想力:面白いこと考えついたりするかとか

で、これを伸ばすことが主眼の教育はそれこそMBAとかその辺でやってもらえばいいんじゃね?と思う。まあこの手の能力を高めてくれることはありがたい話ではあるんだが、これらの能力ってあくまで相対評価でしかないという点は注意が必要だと思う。この手の能力が必要とされるポストは全員分あるわけではないので、相対的に上位の人間にしかこの手のポストはいかないわけで。


仮に全員がMBAホルダーになったとしても、その先に果てしのない相対的評価による競争をやっていくことになるだけで、こういった能力を全員に向けて教育で伸ばしていこうというのは間違った方向性だと思う。


ただ「5.今後もこのコミュニケーション能力重視の流れは続くのか?」で書いたように、今後は企業も幹部候補生以外の採用を増やしていくことになると思うので、ある意味、昔の同期採用による出世競争といった流れに若干ゆり戻しが起きるのではないかという気もする。

7.コミュニケーション能力と「もじれモデル」でいうところの『専門性』とはどのような関係があるか?

もじれモデルというのはこれね。(→http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060111#p1

[1][学力だけに注目していていいのか]→[2][対人能力(≒「人間力」)も重要になってきている]→[3][対人能力は実は専門的な教育を通じて培われる可能性が高い]+[4][あまりに「人間力」というような曖昧なものを強調しすぎることは問題だ]

で、『専門性』というのはこれね。(→http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060112#c1137381072

「感情・情緒的コミュニケーション」よりは「ロジカルコミュニケーション」、さらには「コミュニケーション能力」よりは「専門性」という、できるだけかっちりとした能力や基準


まず『専門性』の視点で言えば、企業が採用の際に言っている「コミュニケーション能力」重視には異議を唱えるべきとなる。「コミュニケーション能力」とは、測定可能な指標などではなく、あくまで「マネジメント能力」、言い換えれば採用後の幹部候補としてのポテンシャルという意味と見るべきであり、この評価は必ず相対評価となる。このような果てしのない相対評価で動く世の中は過重な競争を強いる社会として反対すべきだと言える。もっとかっちりとした能力や基準をもってこいと。


で、「もじれモデル」に対しては、ここで言われている企業の採用活動で重視されていると考えられるコミュニケーション能力という点に限れば、次のような批判が成り立つ。

[1]学力だけに注目していていいのか
→これはあくまで企業業績が低迷したこの10年くらいの新卒採用抑制で生じた動きである可能性もある。強い買い手市場では、学力が高いことは必要条件だった(だって供給側は人数減ってないもんね。東大の卒業生はずっと同じ人数でしょ)。そこで学力以外の基準が用いられたのは自然。
[2]対人能力(≒「人間力」)も重要になってきている
→この10年ほどは企業側は幹部候補生としての新卒採用という行動を取っていただけであり、今後、企業業績が回復していく過程でもこのような動きが継続するかどうかはわからない(検証して欲しいですぅ)。
[3]対人能力は実は専門的な教育を通じて培われる可能性が高い
→可能性は否定しない。実際にMBAとかは企業が求める「コミュニケーション能力」を高める可能性があると思う。ただし、コミュニケーション能力といったような相対的な評価にさらされる能力は、あくまで選択的にやりたい人が受ければいい教育ではないか。
[4]あまりに「人間力」というような曖昧なものを強調しすぎることは問題だ
→ここでいう「曖昧」さの源泉は「相対評価」にあると考えることもできる。この相対評価による採用活動が今後もずっと続くかどうか、続くとすればそれは問題かもしれない。


ただ、「もじれモデル」で言っている「対人能力(≒「人間力」)」が、そのままこの文脈での「コミュニケーション能力」ではないよねという点を明記しときます。


こんなところで。